出處 http://number.bunshun.jp/articles/-/821656
長年以來支持日本火腿的老將稻葉篤紀
宣布引退後引起的現象,的確是日職中難得一見的
讀過這篇文章之後,覺得稻葉桑的處事態度讓我收穫良多
身為一介日職球迷的筆者,謹此把這篇文章簡單翻譯分享給各位
順便向這位不論球技還是人品都頗得愛戴的選手,致上最高的敬意
==
稲葉篤紀が球場に起こす、ある現象。
野球ファンに、記者に愛された男。
中村計 = 文
稻葉篤紀在球場引起的某個現象
深受球迷與記者愛戴的男人
日本ハムの稲葉篤紀の引退発表以降、各球場で不思議な現象が起きている。
在日本火腿的老將稻葉篤紀決定在今年球季結束時退休之後,各球場都出現了不可思議
的現象。
稲葉が打席に立つと、相手チームのファンも一緒に手拍子し、あるいは一緒に稲葉ジ
ャンプをするのだ。そして凡退しても球場全体から大きな拍手が沸き起こる。
每當稻葉站上打擊區,連敵隊的球迷也會跟著一起打拍子,甚至是跟著一起做「稻葉跳
躍」。即使沒辦法上壘,整個球場也會響起如雷掌聲。
稲葉がいかに野球ファンに愛されていたか。それがじつによく伝わってくる。
從這樣的現象,不難看出稻葉到底有多受球迷愛戴。
思い返せば、記者にとっても稲葉はじつにありがたい選手だった。中には親しい記者
以外とはあまりしゃべらない選手もいるが、稲葉は違った。
回想起來,對於採訪的記者而言,稻葉也是一位不可多得的選手。雖然有些職棒選手不
會對熟人以外的記者開口,但稻葉卻不一樣。
試合前の練習を終え、ロッカールームに引き揚げる際、声をかけると必ず立ち止まり
、数分間、こちらの質問に真摯に対応してくれた。しかも、その内容もおもしろかった
。
當賽前練習結束,選手們正準備回到休息室的時候,只要開口叫他,稻葉必定會停下腳
步,在短短的幾分鐘之內認真回答記者的問題,而且他的回答都讓人聽得津津有味。
渡辺俊介について語った「遊び心の大事さ」
談起渡邊俊介時所說的「玩心最重要」
'07年のクライマックスシリーズのときもそうだった。その年、リーグ優勝した日本
ハムは第2ステージでロッテと対戦。1勝1敗で迎えた第3戦、その日のロッテの先発ピッ
チャーは当時、全盛を誇っていた渡辺俊介だった。
那是2007年高潮系列賽(日職季後賽)的事情。當年拿下聯盟冠軍的日本火腿在第二輪
碰上羅德,雙方各拿下一勝之後,第三戰羅德的先發投手,正是當時聲勢與實力皆如日中
天的渡邊俊介。
クライマックスシリーズは報道陣も多く、いつも以上に緊張感がある。そのためなか
なか話を拾うのが難しい状況なのだが、できれば試合前に何らかの情報を得ておきたい
。そこで稲葉に「渡辺俊介対策」を聞くと、「遊び心が大事なんだよね」という話をし
てくれた。
畢竟是高潮系列賽,記者比平常還要多,氣氛也顯得更緊張。在這很難找到話題的情況
下,最好想辦法在比賽前找到報導的題材。當時問到稻葉「要怎麼對付渡邊俊介」時,他
便說了「玩心是很重要的」這句話。
細部は忘れてしまったが、要するに、渡辺の緩いボールを打つには、こちらもそれに
負けないぐらい肩の力を抜き、むしろ打者の方が投手を遊んでやるぐらいの気持でちょ
うどいいのだと言う。
雖然詳細情形我已經忘了,但簡單地說,稻葉認為想要打中渡邊的慢速球,就必須要讓
自己的肩膀也盡量放鬆,感覺就像是打者在作弄投手一樣。只要用這種心態來面對渡邊就
行了。
この話を聞けたお陰で、試合への興味が何倍も膨らんだ。
由於聽到這席話,使我對比賽的興致大增。
結局、その試合で日本ハム打線は渡辺俊介を攻略。7-0で勝利するわけだが、記事を
書くときも、稲葉の話がものすごく生きた記憶がある。
結果這場比賽中,日本火腿的打線徹底擊潰了渡邊俊介,以7比0拿下一場漂亮的勝利。
即便如此,當我在寫報導的時候,腦海中想到的全是稻葉所說的那席話。
稲葉に助けられた経験を持つ記者は多いはずだ。
曾經得到稻葉協助的記者想必很多吧
ダルビッシュ有のインタビューが取れず、関係者の証言のみでダルビッシュについて
書かなければならなかったときも、やはり稲葉の存在が大きかった。それもやはり試合
日の練習後、稲葉が丁寧に語ってくれたことで無事、記事化することができた。
碰到沒辦法訪問到達比修有,只能想辦法從其他人口中問出達比修的相關訊息時,稻葉
就顯得格外重要了。也常常在賽後練習之後訪問稻葉,並將他清楚而詳盡的回答寫成一篇
精采的報導。
これはものすごく個人的なことなのだが、北海道発祥のスポーツである雪合戦の専門
誌『雪合戦マガジン』という雑誌の制作に携わっていた頃、稲葉に巻頭インタビューを
頼んだことがある。そのときもマイナーな雑誌で失礼かと思ったのだが、「僕でいいの
なら」と快く引き受けてくれた。
接下來要說的事情,其實真的是我自己的私事。我以前曾經參與製作過一本專門介紹發
源於北海道的雪仗專門雜誌,當時我曾經請稻葉做刊頭特集的訪問嘉賓。畢竟這只是小眾
雜誌,我自己也覺得很不好意思開口,但他卻只說了句「如果要找我的話也沒關係」,爽
快的接受了我的邀約。
おそらく、このように稲葉に何度となく助けられた経験を持つ記者は、他にもたくさ
んいるのではないか。
我想,像這樣曾經得到稻葉協助的記者,想必也不少吧。
今球場で起きている現象は、稲葉の野球人生の結晶。
如今,在球場發生的現象
正是稻葉棒球生涯的結晶
そしてその姿勢は、ファンに対してもっとも顕著だった。ファンに手を振ったり、サ
インに応じる姿を、いちばんよく見かけるのも稲葉だ。
這樣的態度在對待球迷時更為顯著。不管是對球迷揮手致意,還是幫球迷簽名,最常看
到的就是稻葉為球迷服務的身影。
かつてこんな話をしてくれたことがある。
「日本ハムに移籍したとき、新庄(剛志)さんに『手ぐらい振ってやれよ』って言われ
て、すごい驚いた記憶がある。ヤクルト時代は、そんなことできるような雰囲気ではな
かったですからね。ファンサービスを大事にするようになったのは新庄さんの影響がす
ごく大きい。日本ハムは北海道に移ってから、とにかくファンを大事にしてきました。
試合中に手を振っても、絶対に怒られなかったですから。ファンが喜んでくれるのな
らいい、と。そのお陰で、北海道はかつて巨人ファンばっかりだったんですけど、今で
は巨人戦でも日ハムファンの方が多くなった。そんなの、昔は考えられないことだった
んですから」
以前稻葉曾對我說過這樣的往事。
「當我轉隊到日本火腿時,新庄(剛志)前輩曾對我說『至少也對球迷揮揮手吧』,當時
的我覺得很驚訝。畢竟我以前在養樂多的時候,就現場的氣氛上來說,大概也沒辦法這樣
做吧。我之所以會這麼注重球迷並盡量服務他們,就是受了新庄前輩的影響。當日本火腿
把主場轉移到北海道之後,我就更注意這個部分了。
就算在比賽途中對球迷揮手,也不會因此而挨罵。只要球迷開心就好了。拜這種想法之
賜,以往北海道的巨人球迷比較多,現在即使碰到對上巨人的比賽,日本火腿的球迷也佔
了大多數。根本沒想到會變成現在這樣呢。」
稲葉は、決して派手なパフォーマンスをしてきたわけではない。メディアへの対応も
含め、小さなファンサービスを積み重ねてきただけだ。しかしそれが年数を経て、日本
ハムファンだけでなく、日本中の野球ファンに伝わっていたのだ。
稻葉並不是以誇張動作或姿勢吸引他人目光的球員。他之所以會有今天的地位,全都是
因為他跟媒體記者間的互動,以及看起來不起眼的服務球迷累積而成的。經年累月之後,
不只是日本火腿的球迷,他的用心與努力也已經傳達到全日本職棒球迷的心中了。
稲葉は9月2日の引退会見で、最後の1カ月をどう過ごしたいかと質問され、こう答え
た。
稻葉在9月2日的退休記者會上,被問到最後這一個月要怎麼度過,當時他是這麼回答的
。
「僕はコツコツやってきた人間ですので、残り試合も、何の変わりもなくコツコツとや
っていきたい」
「我是個一點一滴努力做事的人。所以,剩下的比賽我也會秉持這個原則,繼續一點一
滴的努力下去。」
今、球場で起きている現象は、そんな稲葉の野球人生の結晶のように思える。
我想,如今在球場出現的這種現象,就是稻葉棒球生涯的結晶吧。