網誌圖文版
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原文發表於《モモト》雜誌第34期,已徵得出版方同意公開
沖縄x台湾
野球を通じてもっと仲良くしましょ!
沖繩x台灣 以棒球交流更加拓展情誼吧
日本と台湾、野球には共通点も相違点もある。日本では高校野球が人気だが、台湾で
はプロ入りする選手が揃う強豪チームの試合でも、観客はあまり入らない。私も沖縄に
来る前は「何で高校野球が人気かな」と不思議に思っていた。
日本和台灣的棒球有著許多相同和不同的地方。例如,日本雖然高中棒球的人氣旺盛
,但在台灣,即使是坐擁許多未來職業選手聚集強隊的比賽,依舊是乏人問津。我自己也
曾在來到沖繩前,抱持著「為什麼高中棒球會如此熱門呢?」的疑惑。
2017年全国高等学校野球選手権大会(いわゆる夏の甲子園)沖縄地方大会の一回
戦を見に行った。八重山商工対首里高校、八重山の平良君が時速150キロ以上の球を
投げたが、結局0対1で首里高に負けた。「野球マンガみたいに、150を投げるエー
スがいるのに一回戦敗退?」と驚いた。台湾の高校野球は、強豪校と普通校の実力は天
と地ほどの差がある。強豪はプロや海外を目指し、毎日長時間練習。台湾ではそういう
チームを「科(カ)班(バン)(学業ではなく、一つの専門技術を全力で追求する学生たち
という意味)」と呼び、木製バット限定のリーグで試合をする。一方、普通の高校の野
球チームは、基本的には金属バットを使うリーグで、練習時間も少ない。2013年か
ら日本と同じように全校が出場する「黑(ヘイ)豹旗(パオチー)大会」がスタートしたが
、この4年間、金属バットリーグ校が科班校に勝つことはなかった。台湾的な感覚では
、150キロを投げるエースがいる強豪校が、進学校に敗れるという状況は信じられな
いことだ。
於是,我去看了二○一七全國高等學校野球選手權大會(也就是俗稱的甲子園)的沖
繩地方預選大賽。那時是八重山商工與首里高中的初賽,雖然八重山的平良選手飆出超過
一五○公里的快速球,但結果卻以零比一敗給了首里高中。「擁有像棒球漫畫一樣能飆出
一五○公里的王牌,居然卻在第一回合就輸掉了?」這件事讓我十分震驚。因為在台灣,
所謂強校與弱校的實力彷彿天與地的差距。強校球員多以職棒或旅外為目標,每天耗費大
量時間練球。在台灣,稱那類球隊為「科班(重點並非放在學業,而是全力鑽研某種技術
)」,多以參加木棒聯賽的比賽為主。另外,普通高中的棒球隊,則多半練習時間較短,
並參加使用鋁棒的聯賽。二○一三年雖然仿效日本,舉辦全國學校不分組切磋的「黑豹旗
大賽」,但是到目前為止,這四年尚未出現用金屬球棒的普通校贏過科班之例。以台灣來
講,一般升學高中能夠擊敗有著一五○王牌的強校,簡直是天方夜譚。
私は日本の中でも特に沖縄は高校野球に熱心だと聞き、何故かと考えて沖縄の野球の
歴史を調べた。調べるうちに台湾との共通性を感じた。島全体が一つになって代表チー
ムを応援するのは沖縄も台湾も同じだ。厳しい全国戦や国際戦でこそ、「小さい島でも
力を示したい」と考え、チームも島全体も熱くなる。2013年のWBCは台湾人に強
烈な印象を残した。あと1ストライクという場面でヒットを打たれ、台湾代表はサムラ
イジャパンに負けたのだ。
我還聽說即使在日本,沖繩也是數一數二熱衷於高中棒球的地方,便開始從沖繩棒球
史中想找出原因,於是發現沖繩高中棒球和台灣國家隊一樣,都會讓島上團結一心為之加
油。無論是場面嚴峻的全國大會或國際賽,球隊和球迷總是會抱著「即使來自小島,也不
會輸給其他人」的想法奮鬥。二○一三年的經典賽就曾表現出這種精神,可惜在兩出局之
後被打出追平安打,輸給了日本武士隊。
実は2013年のWBCは、台湾プロ野球にとってターニングポイントだった。20
05年から2009年にかけて八百長事件が発生し、多くの選手がプロ資格を失い、プ
ロ野球の人気は急落。しかし、WBCでの奮闘は賞賛に値した。しかもこの年、元メジ
ャーリーグのマニー・ラミレスが台湾プロ野球チームに入団。観客数は2012年の一
試合平均約2400人から、約6000人以上に急増した。台湾では代表戦だけ応援す
る人たちを「一日ファン」と表現する。この時は「一日ファン」が球場へ押し寄せたの
だが、プロ野球人気の復活には彼らが大きな役割を果たした。
事實上二○一三年的WBC對台灣職棒是非常重要的一場賽事。由於二○○二至二○
○九年間發生放水假球案,不僅讓多位職棒球員遭到除名,聯盟人氣也直線下滑。不過,
由於WBC的奮戰精神,加上該年大聯盟球星曼尼‧拉米瑞斯加盟職棒,讓職棒人數場均
一下子從二千四百人暴增到六千人。台灣有不少只關心國際賽的「一日球迷」,但好表現
也讓不少「一日球迷」開始進場,成為職棒復甦的一分子。
沖縄と台湾野球の共通点をもう一つ。かつて安仁屋宗八が活躍し、ウチナーンチュは
安仁屋とカープを応援したと聞く。台湾も2006年に、王(おう)建(けん)民(みん)が
ニューヨークヤンキースに入団して19勝を挙げ、大活躍した。アメリカと台湾には時差
があるが、当時、王建民の先発試合を見るための寝不足が社会現象となり、ヤンキース
の打線には「朝ごはん屋打線」というニックネームがついた。台湾では朝食を外で食べ
る習慣がある。早朝から多くの人々が朝ごはん屋に集まって、テレビ観戦しながら朝食
を摂った。だから私は “安仁屋さんは、台湾の王建民みたいな存在ではないか”と考
えた。
さらに歴史を調べると、台湾と沖縄の野球は昔から深い関係があると分かった。沖縄
第一号プロ野球選手・金城政夫さんは、台湾の高雄商業学校出身(“青バットの大下弘
”と同じ学校)だったのだ。まさか沖縄のプロ野球選手が台湾の学校出身だったとは。
還有一件類似的地方。過去安仁屋宗八曾在廣島鯉魚隊有著精采表現,也讓許多琉球
人替鯉魚隊加油。而在台灣,二○○六年王建民也曾在紐約洋基有著19勝的佳績。雖然
美國和台灣有時差問題,但當時的他讓許多人半夜追球賽不睡覺,甚至還有把洋基隊打線
稱為「早餐店打線」的說法。這說法來自台灣人有在外頭吃早餐的習慣,同時看著電視的
比賽轉播而來。因此我才會有「當初安仁屋,就像現在的王建民一樣不是嗎」的想法。
而當繼續鑽研史料,就發現更多台灣和沖繩棒球的連結之處。像沖繩第一位職棒球員
‧金城政夫選手,其實來自於台灣的高雄商業學校(與「藍色球棒的大下弘」同一間)。
沖繩的職棒球員是台灣學校出身,這真是意想不到。
この数年、ラミゴという台湾のプロチームが石垣島でロッテと対戦している。私は台
湾で「アジアウィンターリーグ」を見に行ったことがある。その時はソフトバンクの島
袋洋奨が登板し、台湾プロ野球選抜チームから白星を奪った。最近は、沖縄のチームが
台湾のプロ野球リーグに参加するという構想が話題となった。県出身の知念広弥選手も
台湾の統一ライオンズに入団することが決めた。。台湾では野球留学で興南高校に入学
した中学生の話が広く報道されている。今後、沖縄と台湾の野球交流はさらに深くなる
だろう。台湾で沖縄選手が活躍したり、沖縄で台湾選手が活躍したり。そんな日が来る
のを、心待ちにしている。
這幾年,台灣職棒的Lamigo都會到石垣島與羅德隊進行友誼賽。我也曾看過台灣的「
冬季聯盟」,並在看到島袋洋獎上場,對台灣代表隊拿下勝投。最近還有沖繩似乎要組隊
加入台灣職棒的傳聞,來自沖繩的知念廣彌也確定加盟台灣的統一獅隊,還有台灣學生要
加入興南高中學習球季的新聞報導。可想而知,往後台灣與沖繩的棒球交流活動會更加蓬
勃吧,還真是非常期待看到那天的到來呢。