※ 引述《LABOYS (洛城浪子)》之銘言:
: http://news.denfaminicogamer.jp/game-gene/watsuki-interview
: 一篇和月伸宏老師劍心系列再開的紀念訪談:
: 和月氏:
: 俺が「敵を倒してヤッター」という展開が、どうも苦手なんでしょうね。
: そこは俺の作家性なのかもしれないです。基本的に「善」であれ「悪」であれ、「信
: 念を貫くこと」や、いろんな戦いの中で「より高みを目指すこと」が好きなんですよ。
: だから、善悪をこっちで決めて倒してしまうのは、どうも違う気がしてしまうんです。
: なんとなくそういうのが好きなのかな、とも思いますが(笑)。
: でもね、やっぱり王道とは何かをほじくっていっても、「敵を倒してヤッター」で読
: 者は納得いかないはずだ……とも信じてます。むしろ、敵と味方は、しばしば「鏡映し
: 」だったりもするんです。だからこそ俺は、剣心が志々雄に勝ったからといって、こっ
: ちが正しいことにはならないというのを、作中で強調するんです。
: - 我對「打倒敵人了太棒啦」這種發展,非常不擅長呢,
: 可能是我的作家性所致。
: - 比起善惡,「貫徹信念」,在各種戰鬥中「朝著更高的巔峰前進」,
: 我比較喜歡這種方式。
: - 所以讓主角方來決定善惡然後打倒對方總感覺不對,不喜歡。
: - 不如說,讓敵我雙方,短時間內成為映射出自己之鏡,
: 正因為如此,即使我讓劍心擊敗志志雄,
: 也沒有闡述主角側是比較正義、正確的,在作品中我也有強調這一點。
所以這種思維是不是造成了
很多反派在進入最終結局時 作者都要再幫他們編故事來洗白 這個現象呢?
沒有絕對的惡 只是因為想達到某種正面積極的目的
才不得不和主角方敵對
這種模式似乎成了主流
那種從頭壞到尾 讀者完全不會同情的反派越來越少了
可是有的作者幫反派洗白的過程又太過簡略 或是理由編得很爛
這樣還不如讓反派從一而終的惡 反而更能讓讀者接受
大家怎麼看和月伸宏的善惡論?