※ 引述《Muma5566 (木馬56)》之銘言:
: 有雷
: 目前劇場版公布三部標題 春之歌
: 我在看完兩個結局後 比較喜歡的是櫻之夢
: 怎麼說呢 春之歌有種強迫GE的感覺
: 外掛投影但是沒死的士郎 讓我想起了
: 那個差點一腳踢出火影結局結果被鳴人救起的阿凱
: 櫻之夢的結局 櫻一個人住在士郎的房子
: 等待著跟士郎一起看櫻花的那天
: 怎麼想都比皆大歡喜大團圓美麗許多吧
: 所以得知三部劇場版是春天歸來後
: 我真的是氣氣氣氣氣
: 大家認為到底哪個結局好些?不論是否為TE
剛剛看到推文有人提到奈須的某個訪談
所以去找了一下出處 但沒找到完整 只有找到應該只是部分的對話內容
如果有完整的訪談 請提供連結謝謝
原文
看完後就心血來潮地翻譯了一下
(打到一半發現推文有人貼了一部分的翻譯 但還是接著把剩下的也翻完)
有語意上奇怪的地方歡迎指正
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坂上:桜ルートの場合は純粋なハッピーエンドという感じではないですよね。
他の作品も含めて、奈須さんはハーピーエンドという概念についてはどのように
考えていらっしゃいますか。
(櫻路線給人的感覺不是單純的HAPPY END,包含其他作品奈須先生對於HAPPY END的
概念有怎樣的想法。)
奈須:そこは凄くシンプルですね。初めにこういう物語を書こうと決めて、
登場人物がこのテーマで動くなら最終的にはこうなるだろうとイメージする。
本当にそれだけなんですよ。実のところ、桜ルートはノーマルエンドが
当然の終わり方だと最初は思っていたんです。プロットの段階では
ノーマルエンドがトゥルーエンドになっていました。
(其實很簡單,一開始決定寫這樣的故事,接著想像登場人物按照這個主題來行動,
最後順其自然的發展下去,真的就只是這樣。說實話櫻路線最初認為NORMAL END
是理所當然的結局,在大綱的階段其實NORMAL END才是TRUE END。)
坂上:ノーマルというのは、桜が帰ってこない士郎をおばあちゃんになっても
待ち続けるというエンドですよね。
(說到NORMAL END也就是櫻持續等待著不會歸來的士郎的END呢)
奈須:そうです。当時はそれしか考えていなかったんですが、三分の二まで
書いたあたりで、奈須きのこの欲望とは別に、物語の方がこの締め方を
許してくれないんじゃないかと思ったんです。それで、ラストシーンまで
書いてみて、そこで想定していたエンドにするか、物語の流れのまま
ハッピーエンドにするかを決めることにしました。結局、これは士郎が
色々なものを失った後で人間的な幸せを得る話だから、セイバーやイリヤが
消えることになろうとも桜は幸せにならないといけないな、というところに
着地しました。彼女は間接的にとはいえ大量殺人者を犯してしまっているけれど
、それで幸せになっちゃいけないというのはやはりおかしい。人間が
生きていくのならば、罪の償いをしながらも同時に幸せを目指したって
いいはずだと考えるようになりました。それが偽善に映ったとしても、
この物語はそれを求めてるはずだと強く感じたんですね。いや、正直に言うと
自分の描いた物語の(無言の)圧力に負けるというのは初めての経験でした。
(沒錯。當時就只有想到這個,但寫到3分之2左右的時候,不同於奈須蘑菇的欲望,
我產生了故事會不會不允許我用這種方式做結束的想法,所以寫到最後,就是
原本想定的END及順著故事走向的HAPPY END。結果,這是個士郎失去了許多事物後
,得到了做為人類的幸福的故事,因此就算SABER跟伊莉雅都消失,決定也必須讓
櫻獲得幸福。雖然說是間接,她也犯了罪殺了許多人,但就因此無法得到幸福果然
是很奇怪的,我開始認為人只要還活著,在贖罪的同時將幸福作為目標應該是可以
的。就算這看起來像是偽善,我強烈地感受到這個故事所追求的就是這個。哎呀
說句實話,輸給自己所創造的故事的(無言)壓力這還是第一次。
坂上:奈須きのこの世界における主人公は基本的に後悔しないですよね。『月姫』
においてアルクェイドと別れた遠野志貴にしろ、『Fate』でセイバーが
消えた時の士郎にしろ、基本的に未練なく前向きに生きていく。永続的に
続いていく関係性よりも過ごした時間が短く結果的に消えることになっても、
ある瞬間においてお互いが納得できる関係を築ければ次に進むことができる
というイメージで書かれているように感じます。
(奈須蘑菇世界的主角基本上都是不後悔的呢,不管是月姬裡跟愛爾奎特離別的
遠野志貴還是FATE線SABER消失時的士郎,基本上都是沒甚麼遺憾積極地活著。
比起永遠保持著關係,就算相處時間短暫且最後就算消失,在某個瞬間築起
彼此能夠接受的關係的話,之後也能往前邁進,我感覺是以這樣的想法來去描寫的)
奈須:ありがとうございます。坂上さんの言葉で、自分でもいま電流が走った
感じです(笑)。きっと彼らが後悔しないのは後悔した瞬間、それ以前に
得たものが嘘になってしまうからなんでしょうね。アルクェイドと志貴にせよ
セイバーと士郎にせよ、人生を変えるほどの出会いをして、それを輝かしい星
と思えたならば、その別れがどんなに辛くとも悲しんではいけない。それを
糧にして、星の輝きに負けないものをその先に得られるように──たとえ
それが不可能だと判っていたとしても──頑張っていかなくちゃいけない
というのが、奈須きのこという人間が考える、人間の美しい形だと思います。
(謝謝,坂上先生的這番話,讓我現在感覺有如電流衝擊(笑)。剛剛說到的
他們之所以不會後悔是因為如果後悔的話,那個瞬間以往所得到的東西就會變得
如謊言一般。不管是愛爾奎特跟志貴或SABER跟士郎,他們都碰上了足以改變
人生的相遇,如果將此看作星光,不管離別有多麼的痛苦都不能感到悲傷,以此
作為糧食,為了之後也能得到不輸給那個星光般燦爛的事物,即使知道這是不可能
也必須繼續努力下去,我認為這是奈須蘑菇這個人所認為人類的美好樣貌。)
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好久沒翻譯文章...... 剛好蠻喜歡後面幾段
所以還是來個春天歸來吧