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初めて前後編の長編エピソードとなった『花火の音は聞こえない』が意外と受け入れら
れたこともあって、読者さんから「たまになら長編をやってもいいよ」という許しを得
た感触がありました。
第一次嘗試前後篇的長篇故事『聽不到煙火的聲音』,意外地,接受的人很多,
有種從讀者之處「偶爾用長篇故事來描繪也可以喔」獲得這類應允的感覺。
逆に、石上の過去エピソードなどは、熱狂的な石上ファンを生んだ一方で「かぐや様に
ああいうのは求めてない」という声もあって、あまり重すぎるのも考えものだなと反省
もしましたね。そこのバランスは調整しつつ、でも今後もそういう話は描いてはいきた
いなと思っています。
相反的,在進行石上的過去篇時,一方面產出了石上的狂熱粉的同時,
也有出現「並不希望在輝夜姬裡看到這樣的故事的聲音」,是不是太過沉重了呢,
我反省了這一點呢。我在此時調整了故事的平衡,
但是我想在從今往後還是會想在連載中畫這樣的故事。
僕はシリアス回を「大長編ドラえもん」だと思っているんです。青臭いですが、「人は
どう生きるべきか」とか「正しいことって何?」とか、そういう中二病的な正義感が高
まってくるんですね。
我感覺嚴肅的內容就像是「多啦A夢大長篇」一樣。雖然有種乳臭未乾的味道,
講述著「人類究竟該怎麼樣活著」、「所謂的正確到底是什麼?」,
像這樣混雜著些許中二病的正義感會高漲起來呢。
僕が『かぐや様』で描きたいことは、ライバルや先輩と後輩、男女の友情など、さまざ
まな人間関係のあり方で、たまに真面目にそれを突き詰めていくことでリアルな何かが
提示できるんじゃないか、と。
我在『輝夜姬』中想畫的東西,宿敵和學長姊學弟妹也好,男女之間的友情也罷,
人際關係的組成有各式各樣的方式,
偶爾認真的去描繪探究,可以呈現出某些更真實的東西不是嗎?
「こんな僕でも有意義な何かが生み出せているかもしれない」という満足感が得られる
んです。
「即使是這樣的我,也能創作出某種有意義的東西也說不定呢」
這讓我得到這樣的滿足感。
就好像有人說白銀在選舉上這樣幫助伊井野,伊井野居然沒有愛上他。
赤坂就是一個,喜歡在戀愛漫畫中描繪其他人際關係的怪咖。
男女之間的關係不只有喜歡,也有友情,也有對手,也有學姊學弟、學長學妹。
如果只講輝夜和白銀兩個人,
就不會有白銀拯救石上,不會有輝夜啟發石上,不會有輝夜早坂。
那一定不會是現在的輝夜姬。
你不喜歡的地方,同時也是他被許多人認為出類拔萃的地方啊。