※ 引述《kid725 (凱道基德)》之銘言:
部份內容正確
但恐怕你是直接照抄大陸那邊標題農場的翻譯文?
有些部份都添油加醋了....
另外應該是在還沒能和解的狀況下 父親就在96歲的時候過世了
要說到富野老頭痛恨他爸? 不如說他無法理解向他爸那樣的人而已
https://www.asahi.com/and/article/20191229/8595254/
關於鋼彈跟富野及他父親的對談主要是來自於這篇訪談
反面教師の父 感謝ふたつ
──富野さんのお父さんは戦時中、小田原の軍需工場で働いていたそうですね。
富野:
僕にとって父は反面教師でした。
こういう人にはなりたくない、とずっと思ってきましたから。
父は戦前、化学の高等専門学校を出た後に日本大学法学部に潜り込んだんですが、戦局
が悪化してくると、専門学校時代の先輩の引きで、ゴム引き布を作る工場で働き始めま
した。
そこでやっていたのは、陸軍のために防毒マスクや戦闘機の防水布を開発する仕事です
。後にアメリカで死者も出した風船爆弾の材料開発にも関わっていたようです。
それだけじゃない。僕は中学生の頃、父の当時の開発スケッチを見つけたんですが、そ
こには「潜水用空気袋」という記述が残っていました。聞くと「試作を命じられたもの
だ」って。米軍上陸を想定し、波打ち際に少年兵を潜ませて捨て身の突撃をさせるため
のものでした。僕にとって「特攻」は神風のことじゃなく、もっと身近にあったものだ
った。
戦争で身内を亡くした友だちには絶対に話せない父の過去でした。そもそも父が工場に
入ったのも、文系の大学にいるのはまずい、軍の作戦に直結する仕事なら安全だ、とい
う計算から。要は徴兵逃れです。人殺しの片棒担ぎをしていたことも含めて、僕には決
して受け入れられなかった。
富野:
戦後は中学の理科の教師になったけど、「教員に落ちぶれた」と平気で言う。
教え子に失礼だと腹が立ったし、現実から常に半歩退いた、
まるで余生を送るかのような人生への態度は何なんだろうと、
子どもながらに思っていました。
父の生家は東京・大島(江東区)の大資産家でした。
兄8人姉8人の末っ子で、腹違いの兄に育てられたそうです。
家族の情愛を知らない生い立ちや、半端者としての自意識、
国に裏切られたという思いが、ない交ぜになっていたのかもしれない。
身内としていまから思えば、そう理解できます。
でも、やはり肯定はできなかった。和解もできないまま、96歳で逝きました。
──ガンダムのパイロット、アムロ・レイの父親も兵器開発者でした。それ以降のシリ
ーズでも、軍事技術者の親との確執やディスコミュニケーションを抱えた主人公が登場
していますね。
富野:
アムロと父親との噛(か)み合わない会話や相互無理解の関係は、
僕にとってはまったく創作ではありませんでした。
それでも、父に感謝していることが二つだけあります。
育英会に借りた大学の学費を卒業後、知らぬ間に全額返してくれていた。
実家から工面したようですが。
もうひとつ。父は焼却命令に反して、2冊だけ設計ファイルを残していました。
その中に、与圧服の写真があったんです。
高高度の気圧からパイロットを守るためのもので、宇宙服の原型です。
おかげでガガーリン登場前から、子どもの僕にとって宇宙旅行は夢でなく「現実」だっ
た。身近にあった科学、宇宙が僕のアニメの原点になったのは間違いない。
でも、影響はそれだけです。