1.媒體來源:
朝日新聞
2.完整新聞標題:
哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開
哲學家梅原猛過世 建構大膽的日本古代史假說
3.完整新聞內文:
独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化
研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者
の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。
以獨家的理論,建構大膽的日本古代史的哲學家,日本國際文化研究中心(
日文研、京都市西京區)第一任所長,文化勳章受勳的梅原猛,於12日過世。
享壽93歲。
1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京
都市立芸術大学長などを歴任した。
1925年在仙台市出生。京都大學哲學系畢業後,歷任立命館大學教授、京都
市立藝術大學校長等職。
60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の
怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架─法隆寺論」を出す
と、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ
)の歌─柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼
ばれ、大きな反響を呼んだ。
自60年代起醉心於日本文化研究,72年發表奈良法隆寺,是為了鎮壓聖德太
子怨靈而建立「隱藏的十字架─法隆寺論」,73年發表萬葉歌人柿本人麻呂是
因流放而死「水底之歌─柿本人麿論」。顛覆一般見解的獨創論,被稱為「梅
原古代学」,造成很大的迴響。
80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え
、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設
にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。
80年代前半,倡議建立整體研究日本文化的中心機關之必要性,與當時的中
曾根康弘首相直接談判等,說服政府相關人士。盡全力創設日文研,87年擔任
第一任所長。
社会的発言も多く、日本人の死生観をもとに「脳死」の考え方に強く反対
したほか、イラク戦争や自衛隊の海外派遣の反対、平和憲法擁護なども訴え
た。一方で、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の創作など劇作家としても活
動し、多才ぶりを示した。
對社會問題的發言也很多,諸如,基於日本人生死觀,強烈反對「腦死」的
看法、反對伊拉克戰爭與派遣自衛隊到海外、擁護和平憲法等。另外,也創作
歌舞伎「日本武尊」等劇本,以劇作家身分活躍,展現其多才的一面。
99年に文化勲章受章。97年から日本ペンクラブ会長を3期6年務めた
。2004年には「九条の会」呼びかけ人となり、11年には東日本大震災
復興構想会議の特別顧問となった。
99年文化勲章受勳,97年起擔任3屆共6年的日本筆會會長。2004年為「九條
会」(阻止修改日本憲法第九條)的發起人之一,11年擔任東日本大地震復興構
想會議的特別顧問。
4.完整新聞連結 (或短網址):
https://www.asahi.com/articles/ASL727GYLL72PTFC01D.html
5.備註:
他真的很猛。