圖文 http://www.wretch.cc/blog/kafka/11558154
東海道˙蒲原宿˙夜之雪
蒲原宿(かんばらじゅく)は、東海道の五十三箇所の宿場のうち、
日本橋から数えて15番目にある宿場。
東海道的53個宿驛之一,從東京的日本橋開始的第15個驛站。
整條JR東海道本線,大概都是沿著當時江戶時代所設置的東海道而建。
譬如說掛川、藤枝、袋井、静岡、清水、興津、由比,以及今天要講的蒲原
都是東海道53宿驛之一。
當時這些宿驛也是人群聚集之處,但隨著時代變遷,
有些地方繁榮而有些地方相對沒落。
其實就像是絲路上的客棧,或是把他想像成是
高速公路上的休息站也行。
剛來静岡的時候,會思考為什麼這些地方很不有名,也沒有什麼商業氣息,
何需在此設站。後來沿著旧東海道走了一下,心裡就明白一些。
如同會津若松的大內宿、長野的妻籠宿、奈良井宿(後兩著為旧中山道)
過去都曾經是宿驛。也許是地處偏僻,而完整的被保留下來。
尤其是大內宿,要到此地還真是不方便,即便參加會津若松的一日遊,
也只侷限祝休日,或要在當地的溫泉旅館居住才能享此旅程。
工作所在的清水,也曾經是東海道53宿驛之一的江尻。
但清水大概是商業氣息很重,這兒是卸鮪魚的大港,也曾做為木材集散地,
對於舊有的宿驛,早就拆光進行新的建築物布置。
相較於鄰近的興津、由比、蒲原,其宿驛則意外的被保留下來。
雖然不是很完整,但仍有當時的影子。
從清水到由比才兩站大約10分鐘的車程。從由比下來之後,沿著旧東海道
往東京方向前進,一下車,只覺得這真是一個純樸的小町,沿路約四公里,
幾乎都沒有看到任何的便利商店,頂多路旁有一些販賣機。
殘存的小街道,兩旁座落著古老的房舍,彷彿走在當時的路上。
在由比,有由比本陣公園,保留當時本陣的建築物,而公園裡,
有東海道廣重美術館。我坐在本陣公園的遊客中心的大廳,靜靜的翻閱
歌川廣重所繪的東海道五十三次,接著又拿起中山道木曾路六十七次的繪本
參詳。
這樣也對於日本車站的分佈、景點、歷史淵源又多了更深的瞭解。
與其盲目的不知道追求什麼,還不若從歷史文化開始著手。
在由比宿與蒲原宿這一帶,座落著許多當時留下來的房子,
也許沒有被開發,蠻多建築物都被保留了下來。
但這都還是私有財產,只有在門口立了重要文化材之類的字眼。
本陣公園內擺設了一些東海道繁榮時的景向,也有當時由比宿的街道縮小模型。
當然在路上也會有許多意外的收穫。有一些古老的房子是有開放的,
悄悄的走進去,主人還熱情的介紹這些建築物的特色。
好在船東會說日文,不然我可就尷尬了。
有的開為餐廳,除了一邊享用大餐之外,
還可眺望駿河灣的景色。(弥次・喜多さん)
還發現了一家賣紙的商店,除了紙質特殊之外,
還有一些信紙或紙做的商品,小巧可愛,讓人不想離去。
在蒲原的旧街上,意外的發現海鼠壁的構造建築。
(なまこ壁・本陣)
當時去西伊豆松崎,還特別為了此種牆壁而繞過去參觀。
只要在東海道,靠近海邊的地方,都不難發現。
再接近此段旧東海道的尾聲,靠近JR新蒲原站,
有一個夜之雪碑。
碑上寫著蒲原宿,也將廣重的夜之雪孚世繪雕於其上。
石碑旁還有一幅更清楚的夜之雪,並說明圖片的內容。
好像在興津、由比、江尻都還未發現某某宿的石碑。
看來此日是幸運的。
爾後查詢有關東海道五十三宿的資料,發現一個網頁
東海道一人旅(http://www.japan-city.com/toukai/)
http://home.q08.itscom.net/you99/houmon.htm(這是另外一個人的)
他居然將日本的大部分步道走完
而且在每一段都有認真做筆記。
關於東海道˙蒲原宿˙夜之雪
東海道53次的蒲原夜之雪,光聽名稱就覺得好詩意。
不過駿河灣是不太下雪,所以要看到大雪覆蓋的情況很少。
況且附近似乎沒有對應的景色,當時廣重來此地是盛夏。
而這幅美麗的作品,就留在心中遐想著~
我猜想大概是走到蒲原,天氣又濕又熱
就想像自己沁在大雪裡吧~
註1:
新蒲原站前還蠻屌的,放了一艘漁船,
這兒的商業型態是半農半魚。
註2:
從由比到蒲原的路上,剛好看到這小町的慶典。
許多小朋友在豐積神社前抬轎子。
雖然沒有看到菊川潮海寺的祇園祭,但看到這樣也蠻有趣的。
這些習俗都深植在小孩的身上,而不會忘記其文化的根本。
台灣在相形之下,好像不知道自己的定位是什麼。
註3:
沿途有許多廟宇,廟宇的數量跟台灣比還真是不相上下。
就好像去歐洲,有許多教堂。
看來全世界最好賺錢的店鋪,就是廟宇了。
進去的這一家是妙心寺一派的,即便只是小鄉下,
庭園也弄得還不錯。
註4:
在由比本陣公園內,有東海道廣重美術館,旁邊也有一個小茶屋,
是當時東海道給大官休憩的地方。看起來還蠻舒適。
補充
(看日文的漢字應該可以瞭解六七成)
東海道五十三次
作者是歌川 広重
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D
歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) -
安政5年9月6日(1858年10月12日)は、浮世絵師。
江戸の町火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、
その後に浮世絵師となったが 現代広く呼ばれる安藤広重
(あんどう ひろしげ)なる名前は使用しておらず、
浮世絵師としては歌川広重が正しいと言える
繪本連結
http://www.wa.commufa.jp/~si08sin/toukai53.htm
http://www.takahashi-kobo.com/hiroshige-53tsugi.html
http://wwwowari05.web.infoseek.co.jp/hiro-tokai.html
某某宿的由來
先從日本的地理位置開始說起,
以前分為五畿七道,後增加北海道為八道
http://www.geocities.jp/wuyongdeye/tables/5ki8dau.html
明治維新以降の国名の表です。伝統的な国名については五畿七道を参照してください。
畿内 山城 大和 河内 和泉 摂津
東海道 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 甲斐 伊豆 相模 安房 上総 下総 常陸
武蔵
東山道 近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 磐城 岩代 陸前 陸中 陸奥 羽前 羽後
北陸道 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡
山陰道 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐
山陽道 播磨 備前 備中 美作 備後 安芸 周防 長門
南海道 紀伊 淡路 阿波 讚岐 伊予 土佐
西海道 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 薩摩 大隅 壱岐 対馬 琉球
北海道 石狩 後志 渡島 胆振 日高 十勝 釧路 根室 北見 天塩 千島
琉球をこの表にくわえるのは、まちがいだろうとはおもいましたが、あえて西海道にい
れておきました
千年ほどのあいだ、変化がなかった五畿七道ですが、
明治維新とともに陸奥国が分割されて磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の5箇国に、
出羽国が分割されて羽前、羽後の2箇国になりました。また、
あらたに北海道がくわえられ五畿八道になりました。
五街道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%97%E9%81%93
五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸・
日本橋を起点とする五つの陸上交通路。慶長6年(1601年)に
徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、
四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた。
慶長9年(1604年)に日本橋が五街道の起点として定められた。
整備として一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意した。
万治2年(1659年)以降は新たに設置された道中奉行の管轄に置かれた。
五街道の正式名称が定められたのは、享保元年(1716年)である。
東海道 (大坂街道を含める場合もある) - 寛永元年(1624年)完成
中山道 (中仙道とも表記する) - 元禄7年(1694年)完成
甲州街道 (甲州道中) - 明和9年(1772年)完成
奥州街道 (奥州道中) - 正保3年(1646年)完成
日光街道 (日光道中) - 寛政13年(1636年)頃完成
宿場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E5%A0%B4
宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅
逓事務を取扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、
奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。
また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。
問屋場 - 人馬の継立、助郷賦課などの業務を行った。
本陣 - 武士や公家用が宿泊・休憩をした。商業的な宿泊施設ではなく、
その地の富裕者の邸宅が本陣として指定されることが多かった。
脇本陣 - 本陣に次ぐ武士や公家の宿泊施設だが、空いているときは一般旅行者も泊め
た。
旅籠 - 一般旅行者用の食事付き宿泊施設。
木賃宿 - 一般旅行者用の自炊宿泊施設。
茶屋 - 旅人向けの休憩場で、お茶、一膳飯、お酒などを売っているところ。
商店 - 旅人向けに商いをする店。
高札場 - 幕府からの禁制や通達事項などをしるした高札を掲げた場所。
枡形(ますがた) - 宿場の両端の街道をクランク状に曲げた場所。
外敵を迎え撃つための、一種のシケイン。
木戸 - 宿場の端(見附付近)に設けられ、木戸と木戸の間
(見附と見附の間)が宿場町とされた。木戸のほか
に常夜灯が設置されている場合もあった。またほとんどの場合、
夜間は防犯などの目的で閉鎖されていた。
国選定重要伝統的建造物群保存地区
旧会津西街道 大内宿 (福島県南会津郡下郷町)
旧北国街道 海野宿 (長野県東御市)
旧中山道 奈良井宿 (長野県塩尻市)
旧中山道 妻籠宿 (長野県木曽郡南木曽町)
旧東海道 関宿 (三重県亀山市)
旧若狭街道 熊川宿 (福井県三方上中郡若狭町)
旧因幡街道 平福宿 (兵庫県佐用郡佐用町)
旧因幡街道 大原宿 (岡山県美作市)
旧因幡街道 智頭宿 (鳥取県八頭郡智頭町)
旧若桜街道 若桜宿 (鳥取県八頭郡若桜町)
旧東海道 石部宿場の里 (石部宿の復元)(滋賀県湖南市)