『清水家跡取り人質事件』
毛利軍が上月城を包囲し、尼子残党を討伐しようとした天正6年。
その毛利軍の中には備中高松城主、清水宗治の姿も有った。持ち場
で待機していた宗治の元に留守を任せていた家臣が馬を飛ばしてやってきた。
家臣「家中に織田と繋がっていたものが居り、源三郎(景治)様を誘拐!
現在は城に追い込んでいますが、源三郎様を返して欲しくば直ぐにこの戦
から手を引けとの事です!速やかに城にご帰還を!」
この報告を受けた宗治だが
宗治「・・・・・・この戦は非常に重要な意味を持っている戦だ、今我々が
ここを離れるなど有ってはならぬ事だ。今は手の中で暴れているに過ぎない
が城から逃げ出し敵方に渡るようでは後々、主君に迷惑となる。
その時は源三郎諸共殺せ。あいつも武士の子だ、わかっている。」
と家臣に言い、この事を毛利家には伝えなかった。
だが、この事件は程なく小早川隆景に伝わる事となる。隆景は宗治を呼び
出し。隆景「事件のことは聞いたぞ、さぞ心配であろう。早く城へ戻り取り
返しなさい。」と宗治の離脱を許した。宗治は馬に飛び乗り急ぎ城へ戻ると
お咎め無しを条件に無事、源三郎を解放させるとすぐさま上月城に向かい自
分の持ち場に就いた。
譯:
『清水家後繼者人質事件』
天正六年(1578),毛利家包圍上月城討伐尼子氏殘黨。其中備中高松城主、
清水宗治亦在包圍軍勢中。 受命留守的清水宗治家臣派人飛馬前來。
家臣「家中有人跟織田家謀反串通、源三郎(景治)殿下被誘拐!現在正在城
裡追捕中、對方說想要源三郎殿下回來的話馬上就此撤兵!請趕快回城!」
接到報告的宗治卻說這樣跟家臣說
宗治「・・・・・・此包圍戰非常重要的一戰、要我等現在從這裡撤兵是不可
能的。現在不過是茶壺裡的風暴罷了、逃出城裡交給敵方才會給主公造成困擾
,到時候就一起把源三郎殺了。 他是武士的孩子,應該要明白。」
此事並沒有傳達給毛利家知道。
但是,此事不久傳到小早川隆景耳裡,便將宗治喚來。
隆景「我聽聞有此事、你應該很擔心吧! 趕快回去把你兒子救出來再回來!」
而允許宗治暫時脫離戰場。
宗治馬上乘上快馬回高松城,並以不追究任何人為條件下救出源三郎後,
立馬趕回到上月城的包圍陣中。
註..出處不明,時間上算合理。