※ [本文轉錄自 Gossiping 看板 #1PO8-voE ]
作者: umano (大人) 看板: Gossiping
標題: [新聞] 秀吉寫給茶茶的信重見天日
時間: Sat Jul 8 15:54:17 2017
1.媒體來源:
神戸新聞
2.完整新聞標題:
病気の茶々気遣う、秀吉の手紙発見 79年ぶり
(關心養病中的茶茶 秀吉的親筆信睽違七十九年被發現)
3.完整新聞內文:
七月七號,兵庫縣立歷史博物館與東京大學
宣布發現了秀吉寫給側室茶茶的親筆信。距離上
次秀吉的親筆信被發現已經相隔了七十九年。內
容係以溫柔的文字關心生病中的茶茶。專家指出
這封信是了解秀吉私生活與對茶茶的愛所不可欠
缺的史料。這封信七月十號起會在兵庫縣立歷史
博物館(姬路)展出。
豊臣秀吉が側室の茶々(淀殿)に宛てた自筆の手紙が、兵庫県豊岡市出石町の商家か
ら見つかったと、7日、兵庫県立歴史博物館(姫路市)と東京大学史料編纂所(東京)
が発表した。秀吉自筆の手紙が確認されたのは、少なくとも79年ぶり。体調を崩した
茶々を優しい言葉で気遣う内容で、専門家は「秀吉の私生活や茶々への愛情を読み解く
ことができる貴重な史料」としている。10月に同館で開幕する特別展で初公開される
。
信的材質是和紙,高四十五公分,寬五十公分,
貼在掛軸上並被收進一個木盒。2015年兵庫縣的商家
向地方的教育委員會報告了該信的事,隔年博物館與
東大接受教委的委託展開調查,從筆跡確認了該信是
秀吉親筆。
手紙は和紙につづられ、縦約45センチ、横約50センチ。掛け軸に貼り、木箱に入
った状態で保存されていた。所有する豊岡市内の商家が、2015年に豊岡市教育委員
会に存在を伝えた。翌16年6月、同市教委から依頼を受けた同博物館と同編纂所が調
査を始め、筆跡から秀吉の自筆と確認した。
秀吉的親筆信已經發現的有六十封,寫給淀殿的
有五封,以茶茶稱對方的則只有三封。東大在1938年
整理過這些傳世的親筆信,這次則是整理結束後首見
的新發現。
秀吉自筆の手紙は既に約60点が見つかっており、その中で「淀殿」宛ては5点。そ
のうち3点だけが宛名を「茶々」としている。同編纂所はそれらを1938年に書籍に
まとめたが、今回はそれ以来初めての発見になるという。
茶茶是秀吉的側室(正室為寧寧),豐臣秀賴
(小名阿拾)之母。信的年代是茶茶住在大坂城期
間。秀吉在信中稱讚茶茶為了治病而忍痛接受艾灸
,並告知要送秋刀魚給她滋補,並在備註中稱讚茶
茶「不愧是阿拾的娘」。
茶々は、秀吉が本妻の寧々とは別に迎えた側室で、秀頼(幼名=拾)の母。
手紙は、秀吉が大坂城に住む茶々に宛てて、1593~96年に書いたとみられる。
病を患った茶々が、治療のために苦手な灸を我慢して据えたことを「まんそく申ハかり
なく候(とても満足)」と褒め、食事を取るよう「またさいり進候(さんまを送ります
)」と約束。さらに追伸で「さすかおひろい御ふくろとミへ申候(さすがは秀頼の母だ
)」と称賛している。
東大教授表示「我們可以看出秀吉性格關懷備至
,這封信是了解歷史名人本性的上好資料」。
「兵庫與秀吉」特展(神戶新聞協辦)將於十月開跑
同編纂所の村井祐樹准教授は「秀吉が気配りができる性格だったことが分かる。歴史
上の人物の人間性を知る上で絶好の素材だ」としている。
特別展「ひょうごと秀吉」(神戸新聞社共催)は10月7日~11月26日に開かれ
る。(宮本万里子)
4.完整新聞連結 (或短網址):
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201707/0010349767.shtml
5.備註:
■信的原文
■秀吉から茶々への手紙の現代語訳は次の通り。
聽說妳用了很多艾灸,我怕妳發燒,
之後又聽說妳比較硬朗,我非常滿意。
我正在準備一齣戲要演給妳看,所以這陣
子飯要確實的吃。我另外送了些秋刀魚,
請務必品嘗。
耑此。
六日
茶茶芳鑒 太閤致
きゅうをたくさんすえたということを聞いていたので、熱が上がるのだろうと心配し
ていたところ、具合が良くなったと聞きました。たいへんに満足です。
能を企画して見せたいと思っているので、これから食事をしっかり取るように。
また、さんまを送ったので、味わうように。
かしく。
六日
お茶々へ 太閤より