Re: [閒聊] 伊達政宗的謝罪術?

作者: deathcustom (第三人的到來)   2017-09-20 11:43:59
推 Oswyn: 後北条氏現在考證應是世襲足利幕府的政所執事,也不算普通 09/20 10:40
→ Oswyn: 其家格與六角、二階堂、京極氏相當 09/20 10:40
伊勢氏宗家(京都伊勢)->室町幕府政所執事
佐佐木/二階堂/京極->伊勢氏世襲
備中伊勢氏->室町幕府將軍近習(申次眾)
"これを申次衆と呼び、後に御相伴衆・御供衆・御部屋衆に次ぐ家格としての意味を有す
るようになった。"
從這句話來看,地位跟御相伴衆・御供衆・御部屋衆相等
室町幕府6代将軍足利義教の頃には伊勢・上野・大舘・畠山の4氏出身者によって独占
而這三者的家格:
相伴衆(しょうばんしゅう、御相伴衆とも)は、室町幕府における役職的な身分の一つ
。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事。管領家の一族や
有力守護大名に限定
山名、一色、畠山(匠作家)、細川(讃州家)、赤松、京極、大內
御供衆(おともしゅう)は、室町幕府将軍の出行に供奉した人物である。また、御相伴
衆のように幕府における身分・格式を示す一種の称号でもあった。その格式は、御相伴
衆・国持衆・準国主・外様衆に次ぐものであったが、将軍の出行に供奉するという点で
、将軍に最も親近な名誉的な職であったと推測されている。
三番編成であり、構成員は御相伴衆を出す家の子弟や弱小守護家の当主、奉公衆や政所
執事伊勢家など多岐に渡った。
結論:
備中伊勢(後北條)的家格有沒有與二階堂、京極相當可能有討論空間
但是應該不低於畠山(匠作家)
另外的資料,從「管領」條目中找到的
「応永5年(1398年)、足利義満が朝廷の五摂家七清華に習って武家の「三職七頭」を
定めた。所謂三職は足利氏一門の斯波氏・細川氏・畠山氏であり、三管領(執事別当)
と号した。七頭は山名氏・一色氏・土岐氏・赤松氏・京極氏・上杉氏・伊勢氏等であり
、そのうち山名氏・一色氏・赤松氏・京極氏を京都奉行(侍所別当)とし四職と号した
。奏者は伊勢貞行とされた。また武田氏・小笠原氏の両人を弓馬礼式奉行とし、吉良氏
・今川氏・渋川氏らを武頭とされた」
室町三代將軍仿照五摂家七清華(堂上家分類)定出了適用於武家的三職七頭
三職者斯波細川畠山
七頭者山名一色土岐赤松京極上杉伊勢
其中山名一色赤松京極稱為四職,外加土岐跟今川稱為六職
上杉地位是關東管領,由此可知與其相當的伊勢的家格大概在哪了
當然
早雲確實藉由改姓來把家格從「申次眾」(近侍)提升到幕府執權(相當於管領)
作者: Oswyn (Oswyn)   2016-09-20 10:40:00
後北条氏現在考證應是世襲足利幕府的政所執事,也不算普通其家格與六角、二階堂、京極氏相當

Links booklink

Contact Us: admin [ a t ] ucptt.com