路線示意圖:https://i.imgur.com/IOHTKLE.png
七月十日
十日、申の剋に出舟、
十日,下午四時左右出航。
七月十一日
十一日、舟中ひるより風つよくなり、夜中より猶大
風にて舟子ともまて迷惑し、帆をさけ、波に
まかせ行候、
十一日,在船上,白天風開始變強,到了晚上更是颳大風
連船頭都感到很苦惱,就把帆降下來,讓船隨著波浪前進。
七月十二日
十二日、巳の剋の末ニからふして平戸ニ着候へハ、京泊りのもの
神六すゝ持來候、亦善左衛門樽、
十二日,上午十點多的時候,到達「平戸」
來自薩摩京泊り的神六拿了酒來,善左衛門也送了酒樽來。
(註:平戸 肥前松浦郡平戸島,平戸松浦氏的根據地
現今的長崎縣平戸市
七月十三日
十三日、唐舟に乗見物仕候、なんはんより豊後殿へ
進物とて虎の子四疋、それをめつらしく見、歸り候へは、
加治木衆彦太郎といへる者、樽.食籠持來候、亦肥州
より樽二ツ.肴取合、平松七郎左衛門といへる者使者、
十三日,登上唐船(歐洲船)參觀
船上有南蠻人要進獻給「豊後殿」(大友宗麟)的幼虎四隻
這可真是稀奇罕見
下船後,來自大隅加治木的彦太郎,拿來了酒樽和食籠
另外,也收到由「肥州」(松浦隆信)的使者 平松七郎左衛門
所送來的兩桶酒樽和料理。
(註:松浦隆信 1529~1599 松浦氏第二十五代當主,肥前守 故稱肥州)
七月十四日
十四日、あきめの勘介樽、又とまりの又十郎樽持來候、亦
平戸之薩广とひすゝ持來候、さて町寺家々なと
一見候へは、普門寺といへる寺にて肥州出合、頻にと候間、
堅く斟酌仕候へ共、猶來るへく由申され候間、無余儀
まかり候て、肥州.同捨弟兩人へも見参仕、歸り候へは、
軈而肥州礼に來られ候、其よりとひの宿にて酒
寄合、肥州より太刀あつかり候、
十四日,來自薩摩秋目的勘介、來自薩摩とまり(泊)的又十郎
都拿了酒樽來,接著參觀平戸的市街、寺院等
在叫做普門寺的寺院裡,與肥州(松浦隆信)相遇
他頻頻邀請我,雖然我堅持婉拒
但他一再邀約,我別無他法(無余儀),便答應
與肥州和他的弟弟兩人見面之後
肥州派人以禮相迎,在とひの宿舉行酒宴
從肥州手上拿到太刀。