※ 引述《geordie (Geordie)》之銘言:
: : → kauosong: 一樓,台灣人還沒資格當日本兵,只能當軍伕跟軍屬 07/07 10:46
: : → geordie: 少來了,戰爭後期的時候,天皇開始頒布命令徵台灣軍,台 07/07 10:50
: : 推 ilyj2012: 雖然我恨皇民,但歷史事實是台灣漢人很少參加作戰部隊, 07/07 10:50
: : → geordie: 灣是屬第十方面軍的 07/07 10:50
: : → ilyj2012: 也很少赴大陸參戰。 07/07 10:50
: : → ilyj2012: 日本人不敢把台灣兵派到大陸拿槍打仗,怕造反 07/07 10:51
: : → ilyj2012: 原住民參軍的有多少? 07/07 10:52
: : → kauosong: 戰爭後期台灣人才被徵兵,砲灰無誤,而且也不是甲級師團 07/07 10:54
: : 推 ilyj2012: 但不容否認的是,很多台灣人被皇民化的很嚴重,這種這 07/07 10:54
: : → ilyj2012: 種皇民化思想也的確是台獨的一個誘因,但不是全部。 07/07 10:54
: : → ilyj2012: 其他誘因還有白色恐怖和兩岸長久對抗。 07/07 10:54
: : → ilyj2012: 這些兵是去南洋參戰吧,而且原住民有很大比例吧? 07/07 10:56
: 嗯啍,日本的檔案館是鄉民的寶藏,只要看的懂日文就行
先去把日文補好吧 只會看漢字是不行的
: https://goo.gl/RFVj2D
: 第10方面軍(湾
: 地域:台湾
: 都市名:台北
: 解説
: 1944年3月、台湾軍は大本営直轄の作戦軍となり、台湾の防衛に加え、
: 第32軍の兵站援助を担当。
: 9月、第10方面軍が創設されると、司令官の安藤利吉大将以下、台湾軍の将
: 兵がそのまま移り、台湾の諸部隊と沖縄の第32軍を統轄した。
: さらに安藤は、12月から台湾総督を兼ねた。
: 1945年1月、台湾南部を防衛する第40軍が嘉義に創設されたが、
: その後司令部は本土防衛のため南九州に移転。
: 第40軍隷下の諸部隊は方面軍隷下に復した。
: 第32軍が壮絶な沖縄戦を展開した一方で、台湾に地上戦は起きず、航空部隊による応
: 酬が専らであった。
: 終戦後、沖縄は米軍管下、台湾は中国管下に入ったため、南西諸島
: の諸部隊を大本営直轄とし、第10方面軍は支那派遣軍総司令官の指揮下へ、
: そして独立混成第61旅団は第14方面軍の指揮下へと移された。民間人の引揚は9月から開始。部隊
: 将兵は農耕や戦災復興に従事しながら現地自活を続けて待機。その間、10月25日に降伏
: 調印式が行われ、11月1日より接収が開始された。
: 12月24日、復員(中国台湾省警備総司令部命令)が下令され、諸部隊は高雄・基隆に順次集結。日本人将兵の復員は、12月
: の564名を皮切りに、1月に17,517名、2月に46,590名、3月に51,440名、4月に11,553名
: が実施された。
: なお、方面軍隷下の台湾人将兵は56,932人を数えた。
: 上位の階層
: 昭和(終戦期) > 終戦時の部隊配置(本州・九州・四国除く) > 台湾 > 陸軍 >
: 第10方面軍(湾)
: 1.1944年為防衛台灣,便叫第32軍馳援台灣
32軍一直都是駐防在沖繩的
照原文 應是台灣軍負責第32軍的後勤
: 2.1944年9月第10方面軍成立,司令官為安藤利吉,都歸32軍管
設立第十方面軍 台灣軍解散 直接原建制改編
另外其它在台部隊及沖繩第32軍皆受其管轄
這個第32軍就是在沖繩戰役硬扛美帝的那個32軍
第十方面軍身為上級單位 面對美帝也只能給予航空支援
: 3.1945年1月防衛南部的40軍成立
後面還有提到 為加強本土防衛作戰防務 40軍軍部移至南九州
原下屬單位回歸第十方面軍
: 4.其麾下的台灣軍有56,932
台灣軍編制早已解散 改編入第十方面軍
第十方面軍的台籍部隊有56,932人