Re: [新聞] 信長「幻の上洛」、大名離反で頓挫 裏付.

作者: jfy (天之子)   2014-10-03 19:27:42
※ 引述《shinshong ( )》之銘言:
: 有沒有強者能翻譯一下?
: http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG0301G_T01C14A0CR0000/ 日本經濟新聞
: 信長「幻の上洛」、大名離反で頓挫 裏付ける書状発見 2014/10/3 13:20
: http://goo.gl/TSa87M 照片
: 熊本県立美術館と熊本大、東大は3日、織田信長が天下統一に向け、1568年に上洛
: (じょうらく)する2年前に計画した「幻の上洛作戦」を裏付ける足利将軍家側近
: の書状を発見したと発表した。計画の存在は知られていたが、書状により信長が予
: 定していた上洛の経路が具体的に判明。日付から、計画が実行直前で頓挫したこと
: も分かるという。
熊本縣立美術館與熊本大學、東京大學在10月3號時,
共同發表發現可證明「織田信長為了一統天下,在1568年上洛的前兩年(1566),
曾計畫但未實現的上洛作戰」之足利將軍家家臣的書信;
雖然織田信長在1566年曾計畫上洛是已知的事實,但藉由這份書信,
更具體地了解信長原本規劃的上洛路徑,且從書信的日期得知,
這個上洛計畫是在要實際行動前才突然無法實現的。
: 県庁で記者会見した熊本大永青文庫研究センターの稲葉継陽教授は「信長が早期から
: 京都で実権を握る計画を立てていたことを裏付ける非常に貴重な史料だ」と述べた。
: 書状は、室町幕府13代将軍、足利義輝の暗殺後、京都を逃れた義昭(後の15代将軍)の
: 側近らが署名した計14通で、いずれも1566年(永禄9年)8月28日付。
在熊本縣政府大樓內舉行記者會的熊本大學永青文庫研究中心.稻葉繼陽教授說:
『這是可以證明信長很早就有要在京都掌握實權之計畫的極珍貴史料』,
書信是室町幕府第13代將軍.足利義輝被暗殺後,
逃離京都的義昭(後來的第15代將軍)的家臣們所署名的14封書信,
且每一封的日期都是1566年(永祿9年)8月28號。
: 幕府再興を目指す義昭と側近が伊賀(三重県)や山城(京都府)など京都周辺の勢力に
: 宛て「御入洛の御供として織田尾張守参陣し候」と、義昭の上洛で信長の協力を得たこ
: とを示し、自らに味方するよう呼び掛ける内容だ。
意圖中興足利幕府的義昭與其家臣,在寄給伊賀(三重縣)、山城(京都府)等
位於京都周遭的勢力之書信中寫到『織田尾張守將領兵與我們一起上洛』,
表示義昭已經獲得信長的協助,並希望藉此獲得收信者的支持。
: 宛先などから、信長らは尾張(愛知県)から北伊勢(三重県)、甲賀(滋賀県)、矢島
: (滋賀県)を経て京都に入る予定だったことが分かる。書状の日付の翌29日、近江の有
: 力大名、六角氏が義昭側から離反、計画は頓挫した。
依據收信者的名字來看,信長等人是預定從尾張出發,經由北伊勢、甲賀、矢島,
然後進入京都,但是因為在書信日期的隔天.29號,
近江的有力大名.六角家背叛義昭,致使整個計畫宣告失敗。
: 書状は足利家に医術で仕えた米田貞能(求政)に託されたとみられるが相手先には届け
: られず、その後は裏返して袋とじにし、再利用して中世の医術書が書き写されていた。
: 熊本県立美術館が昨年10月、永青文庫研究センター、東大史料編纂所と共に熊本市の
: 個人宅の古文書を調査し、医術書の裏面の書状を発見した。米田家は後に熊本藩の家老
: となった。
: 書状は、同美術館で10日から一般公開される。〔共同〕
推論書信是被託付給以醫術效力於足利家的米田貞能(求政),
但因為無法送交給收信者,所以米田後來就書信紙張翻過來予以裝訂,
並利用其背面書寫中世紀的醫書;熊本縣立美術館是在去年10月,
與永青文庫研究中心、東京大學史料編纂所合作,調查熊本市內的民家所擁有的古文書,
而後發現醫書的背面有書信文,米田家後來成為熊本藩的家老。
本批書信將從10月10號起在熊本縣立美術館展示。
作者: LUDWIN (暑假已經過完了)   2014-10-04 19:29:00
再利用法也很不可思議
作者: kkbike (虛壹而靜)   2014-10-06 11:03:00
資源匱乏的時代......
作者: shiriri (CG屁屁妹)   2014-11-16 15:03:00
應該不是資源問題 是想保存但怕惹禍吧
作者: FlyFreedom (福利蛋™)   2013-01-14 22:06:00
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