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信長の浅井攻め、堀の遺構発見…得意の包囲戦
読売新聞 1月23日(金)13時58分配信
滋賀県文化財保護協会は22日、1570年に織田信長が浅井(あざい)長政を攻めた
際、同県彦根市の佐和山城攻略のために築いたとみられる堀の遺構が、同市松原町の松
原内湖遺跡で見つかったと発表した。
文献では、信長が佐和山城の周囲に城などを築いたとされるが、実際に使われた可能性
が高い遺構。敵が打って出たり援軍を入れたりするのを防ぐ狙いとみられ、大規模な包
囲戦を得意とした信長の戦術がうかがえるという。
遺構は、佐和山城跡の北1・6キロの尾根を分断するように長さ27・5メートルにわ
たる。最大で幅7・5メートル、深さ4メートル。付近では小規模な堀や穴も複数見つ
かった。
佐和山城攻めは、長政と越前の朝倉氏の連合軍を信長軍が破った姉川の戦いの翌月に始
まった。長政の家臣が守る城を信長軍は8か月にわたって包囲し、降伏させた。
信長の家臣が記した「信長公記」には、佐和山城攻めで四つの城や「鹿垣(ししがき)
」と呼ばれる障害物を築いたと記され、堀は鹿垣の一部の可能性が高いという。