[心得] 譯文-芥川龍之介遺書-寄給某個舊友的手 …

作者: kmsm (mikage)   2006-02-07 15:12:06
寄給某個舊友的手記
芥川龍之介
無論哪個自殺的人都沒有將自殺者自己的心路歷程原原本本地寫出來過。這大概是自殺
者的自尊心所致,亦或者他們對自己的心理沒什麼太大的興趣吧。而我在這封最後寄給你
的信裡,我想要將這樣的心理清楚地傳達給你,雖然我其實並不是非得要將我自殺的動機
告訴你不可。雷尼爾([一八六四~一九三六]法國詩人・小説家)在他的短篇中曾描寫過
某個自殺者,但是在這短篇中主角自殺的理由其實連他自己都不了解。你或許會說只靠寫
報紙的雜記生活很困苦啦、病痛啦、亦或者是精神上的苦痛啦,我猜想到時候你會為我找
出許多自殺的動機吧。但是,以我的經驗來看,那將不會是我動機的全部,最多只能說這
些動機大致上是條通往我真正的動機的道路。自殺的人大多都像雷尼爾所描寫的一樣,理
不清自己究竟是為何而自殺吧。跟我們的行為一樣、在行為背後的動機也總是複雜的,雖
如此,至少現在的我確實是茫然不安、我對我的未來是茫然不安的。你大概沒辦法相信我
說的話吧,但以我最近這十年的經驗,只要我的週遭的人沒有跟我有類似經驗的話,我的
話語應該會像風中的歌一樣消失,所以要是真變成那樣,我也怪不得你吧……
我在這兩年間一直只想著死,最近這段時間,我開始仔細閱讀麥蘭德(Pilipp
Mainlander(1841-76)業餘哲學家)的書,他確實是抽象而巧妙地描寫出向死前進的路
徑,但,我想描寫的東西是更為具體的。對家人的同情在這種慾望之前什麼都不是。對此
,你大概不得不以Inhuman來評判我吧。只不過,這種作法要是真的沒人性的話,那我大
概就是具有沒人性的一面吧。
老實說,我覺得我有不得不真實記錄的義務在。(我也曾把我自己對將來的不安加以解
剖,而我在『某個傻瓜的一生』中也已大致說明過了,雖然加諸在我身上的社會性條件─
但是封建時代在我身上的投影,我故意沒寫出來。至於為何故意不寫出來,這是因為到現
在我們每個人仍或多或少活在封建時代的陰影中,而我再在那舞台之外加上背景、照明和
登場人物等社會性條件─大多都已表現在我的作品當中,但是,只因為我自己也活在社會
性條件中就認定自己一定了解社會性條件是不行的吧。)─我最先考慮到的就是要怎麼死
才能不痛苦,吊死應該是最符合這目的的手段吧。或許是我要求太多,但我只要ㄧ想到自
己吊死的樣子,我就感到一股出自美感的厭惡。(我記得曾在愛上某個女人時,只因為她
的文章寫的太差,就突然醒覺而不再愛她。)投水自殺對會游泳的我來說也是行不通的,
就算可行那也還是比吊死痛苦多了吧。臥軌自殺的話也同樣違背我的美學。用槍或刀自殺
的話,很可能會因我手抖得太厲害而失敗。從大樓跳下來毫無疑問會死得很難看。考慮到
這些理由,我決定服毒自殺。服毒自殺應該會比吊死痛苦吧,但是跟上吊相比,服毒自殺
不但符合我的美學,而且還有難以救活的優點。但想要弄到毒藥對我來說當然不容易,因
此我在決意自殺後,一方面想盡辦法、希望能得到毒藥,另一方面也積極學習毒藥學的知
識。
再下來我考慮的是自殺的地點。我的家人在我死後仍要靠我遺產過活,不過我的遺產只
有百坪土地、房子、我的著作權和存款二千元而已。想到我自殺之後房子會賣不出去我就
很苦惱,這時我不禁羨慕起那些有別墅的布爾喬亞起來。你大概會覺得我說的話很可笑吧
,我也覺得我現在說的話很可笑,但是,認真考慮起來這些現實問題在在都會對我造成困
擾,可是困擾歸困擾這問題也不容迴避。現在只能期望在我自殺之後,盡量別讓我家人以
外的人看到我的屍體而已。
但是,即便我已決定好自殺的方法,我心中仍舊有半分是想著活下去的,因此面對死,
我需要一個跳板。(我不像西方人一樣覺得死是種罪惡,連佛陀也在阿含經中肯定他徒弟
的自殺。對佛陀的這種肯定態度,如果是強詞奪理、譁眾取寵之徒,應該不會甘於只說聲
「無可奈何」吧。但以第三者的角度來看,應該也有比「無可奈何」更非常而不尋常的、
更悲慘而不得不的死。任誰都會想,自殺的人都是遇上「無可奈何的情況」才會去死,所
以要是有人在遇到不得不的情況之前就毅然而然自殺,我們反倒該說他是有勇氣的。)擔
任這個跳板的怎麼說都該是位女性。克萊斯勒(【Heinrich von Kleist】 [(一七七七~
一八一一)]德國劇作家・小説家。寫實主義的先驅)在他自殺前也一直勸誘他朋友(男的)
跟他一起死,另外拉西奴(【Jean Racine】 [(一六三九~一六九九)]法國劇作家)跟摩
利耶爾(【Molire】[一六二二~一六七三]法國劇作家・演員。本名Jean-Baptiste
Poquelin 法國古典喜劇的確立者)也企圖一同和包爾(【Nicolas Boileau】[(一六三
六~一七一一)]法國詩人・評論家。法國古典主義文学理論的確立者)一樣跳塞納河自殺
。很不幸地我並沒有這種朋友,不過我認識的女人應該願意跟我一起死吧,但是為了我們
兩人還是別這麼做比較好。在接下來的日子,我會培養不需跳板就能從容自殺的勇氣,這
並不是因為我找不到人陪的絕望才這麼做的,應該說在思考的過程中我漸漸變得感傷,即
便是要死也不想對我的妻子造成困擾,再者,一個人死也要比兩個人一起死容易。一個人
獨自自殺的話,只要我下定決心隨時都能死。
最後,我還必須想出方法,如何才能巧妙自殺而不被家人發現。關於這個問題,在經過
數月的準備後,我已有克服困難的自信。(細節方面,為了避免給幫我的人添麻煩,我不
能寫的太詳細。當然,即便寫出來也不至於構成法律上的自殺幫助罪。((這般可笑的罪
名。如果這樣就有罪,那罪犯的人數殊不知會增加多少。幫助我的藥局、槍砲店或理髮店
,即便到時說『不知情』,但是只要是人內心所想的定會不經意就表現在語氣或表情之中
,多少會被人懷疑一下吧。雖然我說應該不致於有罪,但社會或法律上仍有自殺幫助罪成
立的例子,這些被定罪的人該是擁有多溫柔的心呀。)))我已冷靜做好準備,現在不過
是和死在玩遊戲而已,接下來我的心境大概就會和麥蘭德的講法漸漸接近吧。
我們人說到底還是人形獸,和動物一樣本能地怕死,所謂的生活能力說穿了不過是動物
性的能力,而我也只是其中一匹的人形獸而已。看看我對食色都已厭倦,我身屬於動物的
部份該是漸漸消失了吧。我身處在如冰一般透明清澄、病態般敏感的世界。我昨天跟一名
娼婦一塊聊他的債務問題(!)時,漸漸地越來越覺得「為了活下去而活」實在是人的悲
哀,若能滿足於永遠的沉睡,對我們自身來說未嘗不是種和平與幸福。我對我自己要到何
時才能果決地自殺抱持著疑問,只得說自然對我來說比以前更美了。愛著自然的美並企圖
自殺、你應當覺得我的矛盾很可笑吧。但我還是要說,自然的美是映照在我末期的視線中
的。我比別人都更深地見過、愛過、理解過,過程中相對的我累積了同樣多的苦痛,也多
少得到了滿足。希望你在我死後幾年內不要公開這封信。也說不定我最後不是自殺而是病
死,這誰也說不準。
附記‧我讀恩培多克勒(【Empedokles】[(西元前四九三ころ~前四三三ころ)]古代希臘
哲学家・詩人・政治家・醫師)的傳記時,發覺人想要變成神的慾望是從遠古前就開始有
的。我的手記在我所知範圍內,是不存有想變成神的意念的,不,應該這麼說,我認為我
自己是一個凡人。我還記得二十年前我和你在那株菩提樹下,一起談論『埃特納火山的恩
培多克勒』的情景。在那個時候,我仍是想變成神的其中一人。
(昭和二年【1927】七月、遺稿)
或旧友へ送る手記
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心
や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙
の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤《もつと》も僕の自殺する動機
は特に君に伝へずとも善《い》い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。こ
の短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事な
どに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見する
であらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部〔#「動機の全部」に傍点〕で
はない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニ
エの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやう
に複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か
僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来
ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、
僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎《とが》め
ない。……
 僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちに
なつてマインレンデルを読んだのもこの間である。マインレンデルは抽象的な言葉に巧
みに死に向ふ道程を描いてゐるのに違ひない。が、僕はもつと具体的に同じことを描き
たいと思つてゐる。家族たちに対する同情などはかう云ふ欲望の前には何でもない。こ
れも亦君には、Inhuman の言葉を与へずには措《お》かないであらう。けれども若《も
》し非人間的とすれば、僕は一面には非人間的である。
 僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持つてゐる。(僕は僕の将来に対する
ぼんやりした不安も解剖した。それは僕の「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつも
りである。唯僕に対する社会的条件、──僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故
意にその中にも書かなかつた。なぜ又故意に書かなかつたと言へば、我々人間は今日で
も多少は封建時代の影の中にゐるからである。僕はそこにある舞台の外に背景や照明や
登場人物の──大抵は僕の所作《しよさ》を書かうとした。のみならず社会的条件など
はその社会的条件の中にゐる僕自身に判然とわかるかどうかも疑はない訣《わけ》には
行かないであらう。)──僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふこ
とだつた。縊死《いし》は勿論この目的に最も合する手段である。が、僕は僕自身の縊
死してゐる姿を想像し、贅沢《ぜいたく》にも美的嫌悪を感じた。(僕は或女人を愛し
た時も彼女の文字の下手だつた為に急に愛を失つたのを覚えてゐる。)溺死も亦水泳の
出来る僕には到底目的を達する筈《はず》はない。のみならず万一|成就《じやうじゆ
》するとしても縊死よりも苦痛は多いわけである。轢死《れきし》も僕には何よりも先
に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふる死は僕の手の震へる為
に失敗する可能性を持つてゐる。ビルデイングの上から飛び下りるのもやはり見苦しい
のに相違ない。僕はこれ等の事情により、薬品を用ひて死ぬことにした。薬品を用ひて
死ぬことは縊死することよりも苦しいであらう。しかし縊死することよりも美的嫌悪を
与へない外に蘇生《そせい》する危険のない利益を持つてゐる。唯この薬品を求めるこ
とは勿論僕には容易ではない。僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用して
この薬品を手に入れようとした。同時に又毒物学の知識を得ようとした。
 それから僕の考へたのは僕の自殺する場所である。僕の家族たちは僕の死後には僕の
遺産に手《た》よらなければならぬ。僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕
の貯金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した為に僕の家の売れないことを苦にし
た。従つて別荘の一つもあるブルヂヨアたちに羨ましさを感じた。君はかう云ふ僕の言
葉に或|可笑《をか》しさを感じるであらう。僕も亦今は僕自身の言葉に或|可笑《を
か》しさを感じてゐる。が、このことを考へた時には事実上しみじみ不便を感じた。こ
の不便は到底避けるわけには行かない。僕は唯家族たちの外に出来るだけ死体を見られ
ないやうに自殺したいと思つてゐる。
 しかし僕は手段を定めた後も半ばは生に執着してゐた。従つて死に飛び入る為のスプ
リング・ボオドを必要とした。(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪と
は思つてゐない。仏陀は現に阿含経《あごんきやう》の中に彼の弟子の自殺を肯定して
ゐる。曲学阿世(*4)《きよくがくあせい》の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合
の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふの
は見す見すより〔#「より」に傍点〕悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるも
のではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである
。その前に敢然と自殺するものは寧《むし》ろ勇気に富んでゐなければならぬ。)この
スプリング・ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。クライスト(*5)は彼
の自殺する前に度たび彼の友だちに(男の)途《みち》づれになることを勧誘した。又
ラシイヌもモリエエル(*7)やボアロオ(*8)と一しよにセエヌ河に投身しようとして
ゐる。しかし僕は不幸にもかう云ふ友だちを持つてゐない。唯僕の知つてゐる女人は僕
と一しよに死なうとした。が、それは僕等〔#「僕等」に傍点〕の為には出来ない相談
になつてしまつた。そのうちに僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。
それは誰も一しよに死ぬもののないことに絶望した為に起つた為ではない。寧《むし》
ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ死別するにもしろ、僕の妻を劬《いたは》りたいと
思つたからである。同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも容易で
あることを知つたからである。そこには又僕の自殺する時を自由に選ぶことの出来ると
云ふ便宜もあつたのに違ひない。
 最後に僕の工夫したのは家族たちに気づかれないやうに巧みに自殺することである。
これは数箇月準備した後、兎に角或自信に到達した。(それ等の細部に亘《わた》るこ
とは僕に好意を持つてゐる人々の為に書くわけには行かない。尤《もつと》もここに書
いたにしろ、法律上の自殺|幇助罪《ほうじよざい》※〔#始め二重括弧、1-2-54〕こ
のくらゐ滑稽な罪名はない。若しこの法律を適用すれば、どの位犯罪人の数を殖《ふ》
やすことであらう。薬局や銃砲店や剃刀屋《かみそりや》はたとひ「知らない」と言つ
たにもせよ、我々人間の言葉や表情に我々の意志の現れる限り、多少の嫌疑を受けなけ
ればならぬ。のみならず社会や法律はそれ等自身自殺幇助罪を構成してゐる。最後にこ
の犯罪人たちは大抵は如何にもの優しい心臓を持つてゐることであらう。※〔#終わり
二重括弧、1-2-55〕を構成しないことは確かである。)僕は冷やかにこの準備を終り、
今は唯死と遊んでゐる。この先の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであら
う。
 我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂《いはゆる》生活力と云
ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦
《あ》いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷
のやうに透《す》み渡つた、病的な神経の世界である。僕はゆうべ或売笑婦と一しよに
彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感
じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福
でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問であ
る。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、し
かも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期《
まつご》の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは
苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは
公表せずに措《お》いてくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないので
ある。
 附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものか
を感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづ
から大凡下《だいぼんげ》の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹《ぼだいじゆ
》の下に「エトナのエムペドクレス(*10)」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであ
らう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。
〔#地から2字上げ〕(昭和二年七月、遺稿)
底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:小浜真由美
1998年4月20日公開
2004年2月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で
作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*1
レニエ【Henri de Rgnier】
[(一八六四~一九三六)]フランスの詩人・小説家。高踏派から象徴派に進み、典雅な
詩風を確立。のち、新古典主義へ移行した。詩集「夢の如く」「水の都」、小説「生き
ている過去」など。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*2
さんめん-きじ 5 【三面記事】
新聞の社会面の記事。雑事件の報道記事。
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
*3
マインレンダーPilipp Mainlander(1841-76)という素人哲学者がショーペンハウアー
を研究し、自殺礼讃の書『救済の哲学』二巻を残して、三十五歳にして自殺を決行した
という事件があったからである。
*4
きょくがく?あせい【曲学×阿世】
《「史記」儒林伝から》学問上の真理をまげて、世間や権力者の気に入るような言動を
すること。「─の徒」
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*5
クライスト【Heinrich von Kleist】
[(一七七七~一八一一)]ドイツの劇作家・小説家。写実主義の先駆とされる。喜劇「こ
われ甕(がめ)」、悲劇「ペンテジレーア」など。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*6
ラシーヌ【Jean Racine】
[(一六三九~一六九九)]フランスの劇作家。三一致(さんいつち)の法則に立つ厳格な構
成、洗練された韻文、巧みな心理分析などによって、フランス古典悲劇を完成した。作
「アンドロマック」「ブリタニキュス」「ベレニス」「フェードル」など。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*7
モリエール【Molire】
[(一六二二~一六七三)]フランスの劇作家・俳優。本名Jean-Baptiste Poquelin フラ
ンス古典喜劇の確立者。鋭い人間観察による風俗描写と心理展開に基づく性格喜劇を書
き、多くの典型的人物を創造した。作「女房学校」「タルチュフ」「ドン=ジュアン」
「人間嫌い」「守銭奴」など。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*8
ボワロー【Nicolas Boileau】
[(一六三六~一七一一)]フランスの詩人・批評家。フランスにおける古典主義文学理論
の確立者。詩集「風刺詩集」、詩論「詩法」など。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*9
エンペドクレス【Empedokles】
[(前四九三ころ~前四三三ころ)]古代ギリシアの哲学者・詩人・政治家・医師。シチリ
ア島の生まれ。万物は地・水・火・風の四元素からなり、愛と憎が動力因として働き、
結合分離・生成消滅があると説いた。著「自然について」「浄め」。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
*10
エトナ [Etna]
イタリアのシチリア島東部にある活火山。海抜3323メートル。
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
作者: NATTALIA (活著的不可思議)   2006-02-09 15:40:00
推 之前想找都沒找到....
作者: RAIGON (傅紅雪)   2006-02-26 01:31:00

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