五月一日
五月朔日、昌叱.心前同心にて賀茂の祭礼見物ニ罷出候、
先正國寺、是ハ上総殿の定宿也、さて行て右方ニ御たか
し川、たゝすの森、其次ニ賀茂川を渡、けい馬見物し、
らちをいひて其内をのかれ候、儅、蝉の小川、石川同河也、
やかて片岡の森、神山同所也、儅、賀茂の宮の邊にて
京の代官村民其外いさなひて亂舞有、大鼓村井
捨弟、小鼓天下一観世彦左衛門子、太鼓賀茂の社人西
藤甚十郎、うたひ渋屋大夫藤内、狂言滿左衛門.よ左衛門、
各々遊らんにも目をも慰め、さて歸へりニしちくといへる
村を通り、左に斎院.今宮、さて紫の一見、猶行て七野社、
さて舟岡、其より天神の辻といへる口より京ニ入候、
五月一日,與昌叱、心前一起出門,要到「賀茂神社」觀賞祭典
首先到了「相國寺」,這裡是織田上總殿的住宿處
再往前行,右方是「御たかし川」,接著是「糺の森」
然後渡過「賀茂川」,觀賞競馬,然後沿著競馬的柵欄離開現場
接著是「蝉の小川」,又叫作石川
就像「片岡の森」也叫做神山一樣
在賀茂神社旁邊,京都的代官與村民們聚集在一起亂舞
演奏大鼓的是「村井貞勝」(原文:村井捨弟)
演奏小鼓的是天下第一「観世彦左衛門」的兒子
演奏太鼓的是賀茂神社的西藤甚十郎
唱謠的是渋屋大夫藤内,負責狂言的是滿左衛門、よ左衛門
都讓我一飽眼福
回程經過叫作「紫竹」的村子
左方是「斎院」、「今宮」,接著在「紫野」附近逛逛
再繼續走,是「七野社」與「舟岡」,然後從「天神の辻」這裡返京。(不詳)
註:賀茂神社 上賀茂神社與下鴨神社的合稱,本文指的是下鴨神社
相國寺 位於京都市上京區的臨濟宗寺院,創建於永德二年(1382)
御たかし川 不詳,也許是指鴨川?
糺の森 下鴨神社境內的鎮守森林
賀茂川 鴨川
蝉の小川 下鴨神社境內的小河
片岡の森 上賀茂神社境內,片岡神社後方的森林
村井貞勝 ?~1582 織田家臣,京都所司代,於本能寺之變戰死
観世彦左衛門 観世彦左衛門豊次 1525~1585,小鼓方観世流第四代
其子為第五代観世久次郎重次
紫竹 位於京都市北區
斎院 賀茂斎院,位於現今的櫟谷七野神社(京都市上京區)
今宮 今宮神社,位於京都市北區紫野,創建於正曆五年(994年)
紫野 位於京都市北區
七野社 平野神社,位於京都市北區,創建於延曆年間(794~806)
5/1 路線示意圖:https://i.imgur.com/rDqU0Q3.png
https://i.imgur.com/E0fg0Oj.png
五月二日
二日、紹巴うちへ越候留主ニ、下京へまかり候、
五月二日,前往紹巴的宅邸拜訪
但他到宇治去了,不在家,我便去了下京。
五月三日
三日、紹巴帰り候て松たけ名物とてふるまハれ候、夜入候て
下総の宿へ紹巴.昌叱同心候て酒たへ候、
五月三日,紹巴從宇治回來,受他招待吃了特產松茸
入夜後,在下總的住處與紹巴、昌叱一起開酒宴
五月四日
四日、紹巴にて肥後の宇土殿、亦我々ニも食たへさせられ候
五月四日,受紹巴招待
與「肥後の宇土殿」(名和顕孝?)一起用餐。