Re: [情報] 村上春樹 公開採訪 in 京都

作者: nono0520 (和米基喝杯咖啡)   2013-05-12 05:32:33
日本経済新聞整理的全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK06025_W3A500C1000000/
村上春樹さんの冒頭講演
2013/5/6 21:31
作家の村上春樹さんが6日、京都大学の百周年記念ホールで講演した。臨床心理学者で
ユング研究などが有名な河合隼雄氏の七回忌にあたる今年、「河合隼雄物語賞・学芸賞
」の創設を記念して行われたもの。河合氏と親交の深かった村上さんだが、国内で講演
するのは極めてまれ。抽選で選ばれた約500人の参加者が耳を傾けた。講演の内容は次
の通り。
 ここにおられる皆さんは初対面だと思いますが、せっかくの機会なので、今日はゆっ
くり楽しんでいただければと思います。僕は普段からテレビや講演といった場には出て
きませんが、「河合隼雄」を冠する賞の創設記念ということで、今回は出てきました。
あまり人前に出てこないということでカッパやカラスてんぐにたとえられることもあり
ますが、僕は普通の人間です。
 地下鉄やバスに乗って古本屋やコンビニなど近所に買い物にも行きます。そんなとき
に人から声かけられるのが嫌なのであまりテレビには出ないんです。「じゃあなぜラジ
オに出ないか」と聞かれますが、向いていないんですね。物書きですので、やはり。
 やっぱり面倒なことが多いです。近所をジョギングしていたら、人から「このあたり
に村上春樹の家があるそうだけど、知らないか」と尋ねられたことがあって、知りませ
んといって走って逃げた。また、運転免許の更新の時に窓口で「村上春樹さん!」と呼
ばれ、窓口の女性からまじまじと「同姓同名ですよね」と言われたこともありました。
そのときは「ええ、いつも困ってます」と言いました。
 また、京都のがんこ寿司で若い店員さんが呼び込みをしてて、「あ、村上さんじゃな
いですか、なにしてるんですか」と声をかけられたこともあります。その人は僕のファ
ンで、僕の本を全部読んでくれていました。そのときはそばを食べたかったんですが、
なぜかそのまま、がんこ寿司に入ってしまいました。
 僕はイリオモテヤマネコのような絶滅危惧種と思っていただけるとありがたいです。
見かけてもあんまり手に触れないでいてほしいんですよね。手を出すとおびえてかみつ
くかもしれないんで、気をつけてくださいね。
さて、河合隼雄先生についてしゃべりますね。
 僕は○○先生と人を呼んだことはないんですが、河合隼雄さんに限っては、いつも河
合先生と言っています。河合先生は「河合隼雄」と「河合先生」とをうまく使い分けら
れている人という印象でしたが、河合さんは僕の前では「河合先生」を最後まで一貫し
ておられました。僕らは最後まで「小説家」と「心理療法家」というコスチュームを脱
ぐことはなかったと思います。でもそれは他人行儀とかいうのではなく、そういう枠が
ある方が率直に話ができ、プロフェッショナルとしてのすがすがしい、心地良い緊張感
が出るんです。もちろん河合先生が服を脱いで一人の「河合隼雄」になったときの状態
もすごく興味があったんですけれども。
 僕が河合先生と知り合ったのは、1993年ですから今から20年前ですね。当時河合先生
はプリンストン大学に客員教授として在籍しておられました。僕はちょうど先生が来る
直前までプリンストンにいまして、先生とは入れ違いになりました。そのとき僕はボス
トンにあるタフツ大学で日本文学の講義を持っていたときで、当時は河合先生のことは
知らず、心理療法などというものも知りませんでした。
 ただ、妻が河合先生の本を熱心に読んでいて、彼女は「本をわざわざ読む必要はない
が、河合先生に一度会ってみては」と言ってきました。こういうときは女性の方が直感
が鋭いんでしょうね。
 僕は河合先生の本はあまり読んでいなくて今でも「ユングの評伝(生涯)」「未来へ
の記憶(下)」だけしか読んでいません。小説家の役目はテキストをパブリックに提供
するだけだと思っています。読者はテキストを自由に解読する権利を持っていますが、
小説家が自分の作品を分析し始めることほど具合の悪いことはないと思います。僕は河
合先生の「ユング」の著書からもあえて距離を取ってきました。
 プリンストン大で初めてお会いしたとき、ずいぶん暗い人だと思いました。尋常では
なかったです。僕は小説家ですから人を観察はするんですが、判断はしません。なので
、そのときも彼の様子を観察するだけで、どういう人かまでは判断せず、目が据わって
いるというか、どろっとしていて、何となく重くて含みがある、そんなことを見ていま
した。僕は熱心に話をする方ではないので、その日は会話よりも沈黙が多かったんです
が、あの不思議な眼光が今も記憶に焼き付いています。
ところが翌日お会いしたときは、子供の目のような澄んだ瞳で、とても快活にしゃべら
れた。人は一晩でこんな変わるのかと思い、昨日は自分を制御していた、無にしていた
のだなと思いました。そう思ったのは、僕自身が時としてそういうことをやるからなん
ですが、特にインタビューしているときなんかには自分の意識を無にしています。
 僕は「アンダーグラウンド」を書くに当たって、地下鉄サリン事件についての取材を
しましたが、そのとき河合先生と初めてお会いしたときの様子に合点がいきました。「
ああ、こういうことを仕事にしているのだな」と思ったものでした。
 その後、何度か会う機会があって仲良くさせてもらいましたが、ほとんど会話の内容
は覚えていません。覚えているのは河合先生のギャグくらいですね。本当にくだらない
んですが、「文化庁長官をやってるときに会議に遅れてきた小渕総理(当時)が英語で
謝ってきた。アイムソーリー、アイムソーリー」とか。僕の推測ですが、日々、臨床家
として多くの人に寄り添っているのですから、往々にして暗い場所で、危険な、力業の
作業をしておられる、だからできるだけくだらないダジャレを口にしなければいけなか
ったのではないでしょうか。悪魔払いというか、毒消しのような感じですね。僕自身も
毎日ジョギングをして、小説を書くときについてきた暗いものを払うようにしています

 僕と河合先生との会話で何も覚えていないと言いましたが、僕はそれはそれでいいの
ではないかと思っています。というのは、「物語」というコンセプトを共有していたか
らです。物語というのは人の一番深い場所になりますから、それを共有することは、一
人ひとりを深いところで結びつけることができる。あえて言葉には出さなかったですが
、互いにそういう何かしらの共感があったのではないかと思います。そんな深い共感を
持てた相手は、河合先生以外には一人もいませんでした。
 近年、「物語」という言葉がよく口にされていますけれど、それを僕が言わんとする
ことを、本当に丸ごと受け取ってくれたのは河合先生以外にいなかったです。僕のボー
ルを、きちんと両手で受け取ってくれたという感触がありました。とてもありがたいこ
とだったし、励ましになりました。文学の世界でも残念ながらそういうことはあまりな
いことでしたので。
 最後に、河合隼雄先生のご冥福をお祈りするとともに賞が末永く続くことを期待して
おります。

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