真不好意思,我又來徵求意見了……
這次的文章比較長,有些段落其實沒有問題要問,
只是為了作為前後文以供參考,還請包涵。
ところが、江戸時代は、お寺の機能が檀家との関係に縛り付けられて、活力をそがれて
いったのです。さらに、近代とくに現代になって都市集中や都市化が起きたり、〈地縁
共同体〉というのが壊れてきます。それと同時に、寺というものが機能を果たせなくな
ったのです。
然而,到了江戶時代,寺院的機能卻被寺檀關係束縛住,因而失去了活力。接著,到了近
代,尤其是現代,又發生了都市集中和都市化現象,使得『地緣共同體』崩毀。在此同時
,寺院就喪失了功能。
でも、こうなったのは、お坊さん自身が、僧侶である以前に、一人の人間としての市民
意識を持っていなかったからなのです。そのために安住した共同体の崩壊と一緒に役割
を見失ってしまったのです。お寺をどうするか、仏教をどうするかということはどっち
だっていいのです。永遠に続くものは、この世の中には一つもないというのが、お釈迦
さんの教えなのです。とすると、仏教も世の中に役立たない、存在意義を失っていると
するならば、無常の流れのなかで消えていくのはきわめて当然でしょう。
之所以會這樣,是因為僧侶自己沒有先撇開僧侶身份,以『個人』的身份來抱持市民意識
,所以才會隨著安居的共同體崩壞而迷失了自己的職責。要把寺院或佛教怎麼樣,根本無
所謂。根據釋迦的教誨,這世上沒有任何東西會永遠存續。既然如此,若佛教對社會沒有
用處、失去了存在意義,那麼它消失在無常的潮流中也是極為自然之事。
大事なのは、宗教者の一人一人が時代の苦悩というものを、自分の課題としてどう受け
止めるのか。それが問われているのだと思います
最重要的是,每個宗教人士如何把時代的苦惱當成自己的課題。這是個受到要求的問題。
我有疑問的地方主要是紅字處,
尤其「僧侶である以前に」和「それが問われている」這兩個地方雖然看得懂原文意思,
卻卡在不知道中文要怎麼翻譯才好……
還請多多指教!