大須の歴史は江戸時代、徳川家康が行った都市移転「清洲越し」に始まる。中世、尾張
国の中心は清洲(愛知県清須市)であった。しかし、家康公が一六一〇(慶長一五)年
に名古屋城を築城したのを契機に、名古屋への大移動が始まった。
この時、大須観音を始めとする五〇カ寺ほどが、名古屋城の真南に位置する大須地区に
引っ越した。こうした寺の多くは檀家を持たず、城を守る守護の役割を果たした。いわ
ば、攻めてくる敵兵の前線基地としての役割だったのである。
我有疑問的是最後一句。
前面說這些沒有檀家的寺院發揮了守護城池(名古屋城)的作用,
可是為什麼又說這些寺院是作為「攻打過來的敵軍的前線基地」呢?
這樣不是矛盾嗎?
我以為這些寺院應該是屬於名古屋城那方陣營的基地才對?
謝謝!