資料來源:節錄自東大教授佐藤宏之之論文
[佐藤宏之] 城の受け取りと武家の財:近世の城、その構成要素
鉄炮口徑統一轉換為以匁計(1匁=1文目=1目=0.1分)
糧米依1石、10斗、100升、1000合轉換為石計,1石應相當於1俵
地點:津和野城(石見国、関原後德川家抑制毛利氏之最前線)
事主:坂崎氏、津和野藩、坂崎直盛(因千姫事件【被】自殺之悲劇主役)。
事件:由於坂崎直盛劫姫失敗所引發的廢藩騒動與最終之津和野城引渡。
雖然抄家是在大坂之陣後發生,但應可看作是日本戰国末期大名軍備之詳細記錄。尤其
是各式鉄砲的種類記錄的十分詳細。
4萬3468石之坂崎藩津和野城內共計有三門仏朗機砲(国崩)、大小口徑鉄砲合計
1020挺、弓545張與長槍545支(以上應不含家臣自私有之武具)。
依大坂之陣時信濃松本8萬石小笠原秀政出兵約1600、上野館林榊原康勝10萬石
出兵約2100,4萬多石的坂崎家軍備看起來十分充足?或許這也是因為津和野城在
對毛利的最前線有關。
======================================
八月一三日には、上使の柳生宗矩・小笠原長房・駒井親直より、城付
【傳說最終柳生家a了坂崎家的二蓋笠家紋為已用成為了柳生笠】
の武具と所領四万三四六八石六斗一升九合、村数約一三五か村を受け
取った〔津和野亀井家譜〕。
八月二二日、亀井氏が上使より津和野城の武具の引き渡しを受ける。
【亀井氏接續坂崎氏入封津和野藩4萬3千石】
つぎの史料は、このときの引き渡し文書の写しである。
城鉄炮并武具之目録
●石火矢 但入篭4ツ 3丁
【有但入篭*4、此處之石火矢應指的是仏朗機砲無誤!?】
●台無筒 2丁
●65匁筒 2丁
●60匁 同 1丁
●50匁 同 2丁
●30匁筒 但台無新地 5丁
●30匁筒 4丁
●20匁筒 但長サ不同有り 5丁
【20匁以上的大鉄砲數量也超過二十挺】
●15匁筒 同 6丁
●12匁筒 同 6丁
●古筒 但中筒 20丁
●10匁筒 長サ不同有り 64丁
●10匁筒 同 9丁
【十匁以上的高價品多為侍與武家奉公人所持用】
●6匁筒 但古キ筒也 74丁
【古キ、古キモ有リ附註之物為津和野城代代相傳之古武具】
●6匁筒 但長筒也 72丁
【狭間筒?】
●6匁筒 但台無新地 22丁
●10匁筒 但持筒 1丁
●6匁筒 同 1丁
●6匁筒 但壱尺弐寸イフウ物不同也 285丁
【6匁以上的中筒應是戰国後期的主力配備】
●3.5匁筒 60丁
右之小筒同前
●3.5匁筒 但馬の上筒 61丁
【口徑較小的馬上筒有61挺】
●3.5匁筒 但古キモ有リ 27丁
●3匁筒 但古筒 275丁
●3匁筒但古筒台無シ 40丁
大小
筒数合1020丁也
●弓 但志けとう也 329丁
●弓 但小弓しらき 30丁
●弓 但白木 186丁
【弓合計545張】
●鑓 但大鳥毛長飾朱立 50本
●鑓 但長柄鳥毛 295本
●鑓 但番鑓 197本
●鑓 但長味 3本
【長槍合計545支】
●うつほ 但黒キ也 104方
●同 但志り毛 40保
●同 但虎ノかわ 4本
●くわ 95丁
●すき 17丁
●甲立 但かしらなしも有 53
古キなり、石付すき也
●わぬけ竹 12束
●ゑすり竹 250本
●のほりさほ 30本
●請筒 但のほりの 小数30
●わぬけの板 小数30
●矢筒 但符有り 19
●薬箱 内玉も有り 200
但白キ箱
●玉薬箱 但500枚入 123
●薬つほ 大小9ツ
●薬たる 大小27
●薬硫黄入箱 大小8ツ
●薬箱 但志ぬりユタン有り 25
●玉薬筒 但符有り 14
●薬入箱 同 1ツ
●矢立箱 但しぬりかわゆたん有 1ツ
●玉筒 但赤箱入符有り 1ツ
●塩硝桶 同 1ツ
●からかね玉桶箱 同 1ツ
●なまり玉桶 同 1ツ
●具足箱 但番くそく箱壱ツ10両入 25
●為かた箱 符有り 1ツ
●筒乱箱 黒キ箱也 21
●とうらん箱 白キ箱符有り 1ツ
●長枝 但玉入符有り 1ツ
●灯ちんはこ 同 5ツ
●つる箱 同 1ツ
●長刀 2えた
●碁番 符有り 1ツ
金之笠箱 但まけ物ニ入 8ツ
●長ゑた 但金ノ笠入 2ツ
●からかね玉 但かまきつゝミ符有り 125
●忍返 1700
【防止攀登石垣的鐵刺】
●麻縄 但同集ニテ請取 70束
●さし物うち輪 但黒キ 1本
●長枝 但金馬よろい金笠有 4ツ
●長持 古キ具足有り 2ツ
●請筒箱 切符有り 1ツ
●陣かま箱 同 1ツ
●鉄炮袋ノ箱 同 2ツ
●金よろい箱 同 大小3ツ
●どうらん箱 同 1ツ
●ひぜんかめ 大小13
●干食 81俵
●葛粉 7俵
●塩 100俵
●門のひじ 7ツ
●同つぼ 6ツ
●門中つぼ 3ツ
●門の中ひぢ 4ツ
●かんかうほうあて 14
●鉄板 145枚
●帳箱 50
●長持 但帳入 1ツ
●矢けん 1ツ
以上
右之道具改預ケ置申、但、箱之分ハ石原五右衛門存知、封を付申候、
此印判也、又以前之巻付并鎖おろし申候箱も御座候、重而も其通御
渡払可被越者也
元和三年巳 柳生又右衛門
八月廿二日 小笠原市左衛門
駒井右京進
亀井豊前守殿
——————————————————————————————————————
亀井氏が引き継いだ城付武具は、鉄砲・石火矢・玉薬などの火器や弓・
矢筒などの射器、刀剣類、具足箱などの甲冑、幟竿や請筒、鍬・鋤・忍
返などの陣道具、干飯 ・ 塩 ・ 葛粉などの食料と多岐に渡る。なかには「古
キ筒也」 「古キモ有リ」と但書が付された津和野城に代々伝わる古武具
も見られる。
——————————————————————————————————————
つぎの史料は、坂崎家家臣牧勘兵衛・吉見備前から亀井家家臣牧四郎
兵衛・加藤蔵人・塩冶大学に宛てた津和野城に残された城米の備蓄量を
調べたリストである。
御城米算用之覚
●米48.696石 内
米43.72石此度算用ノ分
但とうほ□し米共ニ
残而米4.976石 也
●大豆128.728合 内
大豆128.428石
此度算用ノ分
米ニ〆89.9石
【米以外的物資小計完後最終都換算為以米為單位計量】
残而大豆0.3石也
●籾208.429石 内
籾78.258石 此度算用分
米ニ〆39.129石
籾94.75石 右同
米ニ〆37.9石
とうほ□し籾10石 右同
(印)
米ニ〆3.5石
以上籾183.8石
米ニ〆80.529石
残而籾25.421石 也
●小豆6.67石 内
小豆6石 此度算用ノ分
米ニ〆2.4石
残而小豆0.67石 也
●粟1.8石 内
粟1.5石 此度算用分
米ニ〆0.525石
残而粟0.3石 也
●そば0.5石 其侭請取分
(印)
以上合米217.74石ハ御蔵米ノ分
右ハ此度指引算用仕分也
●塩15石100俵之分
米ニ〆3.4石 此度算用仕分
【鹽也轉換成以米計算,姑且可認為這種換算是以米為貨幣、計的是價值?】
●干飯22.227石
(印)
惣升米239.3石
【最後的總計為所有物資轉換為米之合計】
右者此度御算用指引仕 公儀御借物ニ御払方仕分如件
【教授指出公儀御借物表示城米為公有之財產】
元和五年 牧勘兵衛(花押) (印)
五月廿三日 吉見備前(花押) (印)
牧四郎兵衛殿
加藤蔵人殿
塩冶大学殿